20代半ば、ようやく知ったこと。

家がもともと厳しかったこともある。

ここで”厳しい”とは精神面において厳しいということを指す。

明文化された決まりはないが、そういう風に振る舞わなければいけない「雰囲気」が存在するのだ。自分の意志は不要だった。

さらに我が家の血筋について父からたびたび話されることがあった。

何様に仕えてどこどこへ行き、そして分家がどうのこうので本家があこそこにあり、後妻として入ってきた人がいて、何々という組織とつながりがあり、親戚づきあいがどうのこうのでーーーーーーーー

要するに、自分の振る舞いがどれだけの影響を及ぼすかよく考えろと言いたかったらしい。

 

それによって昔の自分は所属することや名前を残すことがとても怖かった。

所属先のささいな活動が家の名を汚したとして、所属先に迷惑がかかることも辞めろと言われることも居心地が悪くなることもすべてが怖かった。楽しい活動ですらくだらないと一蹴されて辞めろと言われる気がした。自由なんてなかった。

なので高校まで部活に所属することもなく生きてきた。

そして、高校後半に差し掛かった時、名簿には載っていないが実質活動してるという逆幽霊部員となり数か月だけ生徒会執行部として活動した。

行事活動で生徒会室に出入りをしていた時に仲良くなり、誘ってもらったのだ。

はじめて。はじめて、何かの一員に加わったのだ。

もちろんそれまでも委員会や行事の主要メンバーとして活動したことはあったが、初めて自分が「自分」で加わった団体だった。自分の意志があった。活動は楽しいことばかりだった。初めてのことばかりで後輩に質問することもあったり(後輩という存在ができたのもこれが初めてだった)充実感と高揚感、行事期間以外は至極暇でたまり場になる生徒会室。青春の濃度が高かった。(これについては思い出すだけで幸せになるのでいずれ書こう)

 

 

話したいことは学生時代のことではなく社会人のことなのでここから始める。読んでいて流れが悪いだろうが、便利な接続詞を使わせてもらう。いくぞ?びっくりするぞ?

 

さて、

 

社会人になり、仕事に就いた。そして仕事を辞めた。

鬱々とした日々にたまに知人からの誘いがある。テンションがハイになっている時はごく稀だが自分から誘う。頻度は低いながらもそうやって人と関わっているうちに、家のことも親のことも、何も関係がなく何も影響を及ぼさないことに気づき始めた。

「え…?いいのか?自分一人、血筋も何も関係ない『自分』という存在を生きてもいいのか?」

まるで迷路の抜け道に気づいたような気持ちだった。背徳感とうっしっし(この感情を表す的確な言葉をまだ知らない)

 

自分は自分という存在だけで生きていい。とても小回りが利く。そしてそのハンドルを握るのは自分。自分という存在のハンドルを自分が握って自分の意志で動いていいのだ。

 

ぼんやりと感じ始めていたことを文章にして、はっきりとこの手に掴めた。

自分が自分を自分で生きていると初めて感じた、20代半ば。

嬉しくて少し泣いた。嬉しさをここに記す。自分、生きていいんだよ。