歳を重ねていくと苦手なものが増える。

歳を重ねていくと苦手なものが増える。

これは実際に生き続けないと気づかなかったであろうことなので、記録しておきたいと思い、ここに記す。

 

歳を重ねるごとに苦手になってきたもの。

・漢字の誤変換

・人を傷つける言葉、行為

・パッケージの第一印象

 

これらは自分で積み重ねてきたものに反するから苦手である。いや、はっきり言って嫌いである。

 

 

・漢字の誤変換

文章を読んでいて突然世界観を壊すアレ。具体例を一つ挙げるなら「体勢」

体勢を崩した〇 体制を崩した✕

きゃーってなるシーンで急にシステム(体制)の話をしないでほしい。突然脳内にマトリックスの黄緑の文字が流れるし、スーツおじさんの人事かってなる。雰囲気がぶち壊し…。悲しい。

 

別れる〇分かれる✕

答える〇応える✕

もよくある。

 

誤変換なんてよくあるよ、スルーしなよ、と思うかもしれないが、読者にとって別れ話をする駅のホームに突然リオのカーニバルが登場するような出来事なのだ。

自分は特に感じが好きな部類の人間なので、一文字一文字が大切なのである。

漢字一文字ごとに持つ意味があるのだから大切に正しく使ってほしい。

 

誤変換は語訳に例えたらより納得していただけるだろうか。

「きれい」を clean と訳すか beautiful と訳すか。

部屋を clean に保っている人と、 beautiful に飾っている人では印象が全く違う。

 

 

・人を傷つける言葉、行為

これは以前から嫌いだが、毛嫌い度が増してきた。

「~~は興味ないわ」とか「あー、~~は見なくていいし」とかそういうレベルの言葉で苛立つ。

シンプルに、言わなくていいじゃん。

あなたはそう思ったからそのまま言ったのかもしれないけど、その言葉で嫌な気持ちになる人がいるのなら(その人が身近な人だとしたら、余計)やめてほしい。

SNSは何でも言える場だ?ふざけんな!人様の目につくアカウントならそれはもうお前のつばを吐き捨てる場所じゃないんだよ!(特大ブーメラン)

ふぅ。声を荒げてしまった。

 

それに一生懸命な人がいて、その人を応援してる人だっているんだ。

そういう言葉を投げ捨てるのは敬意がない行為だ。

”一生懸命”を軽んじる行為は許せない。

 

 

・パッケージの第一印象

これは、自分でも一番気を付けないといけないなと思う。

うっせぇわ、フワちゃん、ひろゆき、モルカー。

これらは第一印象でその後まったく手を付けられなかった。以下、第一印象とその後の印象を記録しておく。

うっせぇわ→うるさい/ラジオで流れてから二度と聞かなかった。

フワちゃん→見た目がおバカそうで勢いばかり強そうで苦手/知り合いから知的な面もあり理に適っていることを言うと聞き、薄目で見る。完全に壊れている部分もあるものの、克服。

ひろゆき→顔が無理。他人を馬鹿にして楽しむ人間の顔つき。不愉快。/ニュースなどを漏れ聞く限り正解。深入りする予定なし。

モルカー→なんとなく見た目がなめてやがる。(なぜそう感じたのか自分でもわかっていない。その時の精神状態なのか?)/自分は見たことないが世間では大いに人気。遠くでみんな幸せになってるといいな。

 

 

記録しておく。

嫌いな言葉

「頑張った」って言葉が嫌いなんですよ。だから何?で、結果は?しか言うことないじゃないですか。結果を出さない人間に価値はないですよ。


「自分には~~しかない」ってのも嫌い。~~以外を持つ努力はしたのか、~~しかなくなる可能性が分かっていながらそれ以外を持たなかったのはただの甘えだろ?甘ったれてるんだよ。

 

これ、みんな父親に植え付けられた呪いなんだって、わかってる。

わかってるのにさぁ…。


「おいしいね」って言葉も嫌い。昔父親に「おいしいね」って言われて「うん」って答えたら「おいしかったら『おいしい』って言え」と怒られたことがあるから。言いたい時に言うよ。無理矢理言わされたおいしいなんて最悪じゃないかって思う。

 

呪いだ。全部呪いだ。

”正しい食べ方”ってなんなの

先日「納豆の正しい食べ方」なる記事を見かけた。

・納豆かけご飯で食べる時はご飯は冷ましてから乗せる

納豆のタレはよくかき混ぜた後に入れる

・生卵と一緒に食べるのはNG 

などと続いている。

 

普段は「ああ、そうやると栄養がよく摂れるのねぇ」くらいに思うのだが、たまご納豆好きとして生卵と一緒に食べるのはNGこの項目はさらりと流すことができなかった。

 

なんで!何言ってんの!たまご納豆おいしいんだよ!!

 

正直憤慨した。

あのゴールデンコンビに待ったをかけるやつがいるのか。

あんなにマイルドで喉に流れ込んでくる甘みのあるおいしいものがNG扱いされているのはおかしいだろう。

ああ、禁酒法時代が始まる時人々はこんな気持ちだったに違いない…。

 

そののち「正しい食べ方」の言う”正しさ”とは何様なのか。

続く文章を読み進めていくとそこに並ぶ文言は次のようである。

グルタミン酸が増えます

・卵の白身に含まれるアビジンと納豆に含まれるビオチンは結合する性質があり結合してしまうとビオチンの吸収が妨げられてしまいます

・ナットウキナーゼの効果が最大限に発揮されます

 

ああ、栄養を出来る限り100%摂ることが正しくなってしまったのか。

”おいしい”ではなく。

 

もう、怒る気にもなれない。

栄養摂りたかったらサプリメントでもとってろよ…。

栄養注射してろよ…。

 

食事は栄養を摂ることのみを指すのではない。

もちろん栄養を摂ることは生命体である以上重要である。ないがしろにするつもりはない。

しかしそこに過剰な正しさを見出す姿勢には警鐘を鳴らさずにはいられない。

それではガソリンがなくなりそうになったら給油されるだけの自動車と一緒だ。

食事には、2つの役割が備わっていることが必要です。

その1つは、その食事を食べる人の健康を維持・増進し、また疾病の予防・治療に必要な栄養素を過不足なく提供するという栄養学的側面の役割です。

もう1つは、その食事が食べる人の食習慣や食文化をみたし、おいしく食べることで心の豊かさや満足感をもたらすとともに、人間関係やコミュニケーションの形成に役立つなど、食べる人のQOLや社会性を高める側面の役割です。

eiyou.kanto-gakuin.ac.jp

 

 おいしく食べることで心の豊かさや満足感をもたらすということが、まるっきり無視されている。

このことが自分が憤慨した根本の理由であった。

我々は自動車ではない。人間なのだ。

 

玉ねぎは生で食べた方が栄養成分が減らなくていいそうだ。

にんにくも火を通すと体にいい成分が減ってしまう。

玉ねぎはまだしも(生で食べると胃が痛くなる人はいる)、いつもにんにくを生で食べるのか。香りの強いにんにくを食べた後で他のメニューの味が分からなくはならないのか。おいしいと心から言えるのか。

 

願わくば、”正しい食べ方”、”今までの食べ方は間違っていた”などの栄養面しか考えていない見出しが少しでも減りますように。

そんな記事に心乱される人が少しでも減りますように。

「おいしい!」と心から喜んで食事ができますように。

愛猫を亡くした知人に花を

先日、知人の愛猫が死んだそうだ。

息を引き取った、虹の橋を渡った、永い眠りについた……色々な言い方がある。

周りが「死」をどう表現しようともそこにあるのはただの「死」だ。

余計な何かを付け加えることが憚られる。

 

自分はその猫に、そして知人に梅の写真を送った。

花は悲しみを和らげてくれるから。

花は人を優しい気持ちにしてくれるから。

鮮やかな赤い花は春を告げてくれるから。

春は朗らかでやさしいから。

でも、言葉は何も送れなかった。

 

「春だねー」「もっと外に目を向けるよ!」という知人に「窓を開けているだけで春の風は入ってきますので、のんびりですよー」と返すのが精一杯だった。

 

知人は梅を見るたびに愛猫を思い出して悲しくなるかもしれない。

自分の自己満足だったかもしれない。

 

願わくば、優しい風が知人の髪を揺らしてくれますように。

春先のこと

春の日差しと冬の風。鳥のさえずりはたしかに春のもの。


フェンスの向こうには水やりをする黒い背中。


私を撫ぜる風は冬を忘れるなと少し不貞腐れている。


横には椿が咲いている。なんて鮮やかなのだろう。私の目が潤むのは花粉症だからではない。そもそも花粉症ではない。


赤い背中が黒い背中に声をかける。内容は聞き取れないが明るい声だ。両手を大きく振りながら小さくなっていくそれは椿のように鮮やかだった。


空はほとんど白く、水色が溶けて消えゆく手前の色をしている。

そこに張り巡る命。桜の蕾は膨らみ始めている。枝の先に命がある。枝も幹も一寸の隙もなく命。命が張り巡らせられている。


すると自分が妙に伽藍堂に思える。右手の親指の爪。これも命か?その根元の甘皮。これも命か?


桜の枝はとてもはやく朽ちる。茹でた鶏肉よりも簡単に裂けるようにほぐれていく。


冬の風が私に声をかける。冬を忘れるなと。日差しのあたたかさが一瞬分からなくなる。


遠くで救急車のサイレンが聞こえる。あそこにも命だ。


真っ白な枝だけになった紫陽花はロープで縛られ冬の鎧を着たまま。


枯れ枝はゆっくりと土に還る。


背後からの風に身震いし、私はペンを置く。

変わらぬ友よ。

変わらない友に安心してしまった。
いつもであれば、変わらない友に安心しただけだっただろう。
自分は安心して”しまった”のだ。
そのことはくるりとひっくり返せば、変わることをあまりにも恐れている自分が映し出されていた。


醜かった。


何年も立ち止まって、足踏みをし、うずくまり、怖くなり、変わらない友に変われない自分を映して安堵していたのだ。なんと醜いだろう。


友と会うのはこんなにも楽しい。くだらない話はもう頭に残っていない。

ただ楽しさが残っているまさに有意義な時間。

 

 


次会うときは胸を張って会いたい。誓いとも願望とも呼べない期待に近い夢物語は毎回ピンボケの青写真。本人が現実にする気がないのだろうと誰もが思っている。本人もできないのだろうと俯いている。

 

 

 

ただ、友と会うときは罪悪感を感じないのだ。
それが救いだ。


己の価値を否定しがちな自分にとって人に会うとき「自分には人の時間を奪う価値があるのか」「会って得だと思っていただけるのか」そんなことが頭をよぎる。それを振り払って人に会っている。会っても申し訳ないという罪悪感が霧のように立ち上る。必死に振り払って笑うのだ。


この友とは人生の半分以上友人という関係である。
何回聞いても笑える話があって、性格はまるで違…うつもりだが、似ているとよく言われる。

あいつの方が何倍も強く豪快だ。

躊躇いがないし、思い切りがいい。

ダイナミックガールと呼ばれていると聞いて爆笑した。

その豪快さでA型と主張するので世の血液型占いは信じなくていいと身をもって知った。あれはただの統計データだ。

最大HPがバカみたいに高い。

お酒を飲むと周りがあいつのテンションに追い付く。あいつはアルコールを生成できる体なのだ。飲む必要がない。

あいつは声がでかくてうるさい。会うと10秒くらいで「もう大丈夫でーす」と言いたくなるし実際に言う。

話さなくてもなんかうるさい。顔もうるさいし、行動もうるさい。

バタバタ音を出して走れるくらいうるさい。音を出してなくてもうるさい。

初対面(こちらの一方的な認知だが)の印象も「うるさい」だ。

あいつとは絶対仲良くならないと怒りながら親に言ったらしい。

なんかうるさくて、なんかたまらなく大好きだ。

あいつは本当にかっこよくて尊敬している、自慢の友人だ。

 

そんなあいつに胸を張って会える自分になりたいのに、なれないでいる。

変われていない自分を肯定して安心してしまった。

申し訳ないという気持ちは沸いてこない。

この気持ちは…………”不甲斐ない”に近いと思う。

”情けない”とは違って”みじめ”とは全然違う。
………そうか、あいつとは絶対に上下の関係にはならないんだ。

胸を張って会う必要なんてないと言ってくれるやつなんだ。

それよりもどこで食べる?と切り出してくれる。

 

絶対に自分をかわいそうな奴として扱わないんだ。

「そのことって今大事?」って「は?何言ってんの?」と同じトーンで言ってくれる。


自分はあいつがいるからみじめにならないでいられるんだ。
でもそのことであいつに感謝したりなんかしない。
あいつとの関係はそれが当たり前だから。


胸を張って会えるようになった時、酔った勢いに任せて言うんだ。
「あの時さ、本当に嬉しかったんだよ。おかげで生きてこれたんだよ。お前、本当に声でかいな(笑)大声で笑うけど大げさじゃないんだぞ。」
別れ際「またなー」って手を振るんだ。
あいつとは老後も一緒にいるのだけはわかるんだ(笑)

 

 

結局あいつの自慢話で締めくくりそうだ。

それは癪なのでもう一人の友の話もしたい。

 

短くまとめるから読んでいってほしい。
今日はこの3人で会ったんだ。友の話をしたいんだよ。※酔ってない。


この友人はなんでこの2人といるんだろうと言われそうなくらいしっかりしてる。

常識人。将来設計しっかりしてる。嵐が好き。

「かわいい女子」に分類される人間だ。…なんでこの2人といるんだろう(笑)


もともと自分と通学手段が一緒でその中の一人だった。

特に近いこともなく遠すぎもせず、会えば話すし一緒にも帰るし……あれ?なんで仲いいんだろう?

進学を経て地元で会うときたまたまこの3人で集まった?…他にもいた気がする。

え、本当になんでだろう。

でも居心地がいいんだ。居るのが当たり前っていう空気。

そうか。きっかけってさほど重要じゃないことが分かった(笑)
この友人とも長い付き合いになるってわかってる。

 

今回のブログはどん底みたいな始まり方したのに、やっぱり前を向いて終われるんだ。すごいだろ。これが自慢の友人です。

 


2人とも!これからもよろしくな!

朝。

今日は自分の力で、そうつまり自力で起きたのだろうか。

爽やかな目覚めだった。

目が覚めてまずメガネを探す。

寝る前にどうにか横に置いたノートパソコン、そのキーボードから落ちそうになっているメガネを少し雑に掴む。

上体を起こさないまま右手をこたつテーブルに伸ばし、手だけでスマホを探す。

7時か。

丁度いい時間だと思いながらも少し残念に思う。

起き上がってスマホをテーブルに戻しながら視線を少し右奥にやる。

マボロシの鳥』

早く起きた朝にだけ読む本。

果たしてあの男はどうなったのだろう。

視線を手前にずらしマグカップを掴む。

飲みかけの麦茶を流し込む。

目覚めの一口だ。

さぁ、立ち上がろう。

今日が始まる。