施設にいた家族の死

近親者が死んだ。

施設に預けて何年だろう。
3,4年は経つだろう。

一回も会いに行かなかった。


その人は脚が悪く、びっこひくような歩き方だった。
金魚を飼っていて、途中から熱帯魚を飼い始めて、昔から庭の植木いじりが好きだった。庭には柊、枇杷、赤南天、よくわかんない葉っぱ、たくさんあった。途中でやめてしまったがドールハウスを一緒に組み立てていたことがあった。絵の具を買ってきて色を塗った。甘いものが好きで冬は自販機におしるこを入れることを外さなかった。

その人は脚が悪い事から動くのが容易でなく、歳とともにだんだんと衰えていった。家の中ではいわゆるお荷物的な存在になっていった。
餓鬼がとり憑いたように食べ、大小便を漏らすこともあり、通路をふさいで邪魔になる。お風呂は45度になっていてやけどしそうになったことがある。

食事時は祖父が怒鳴りつけ、その人は黙って、祖母が擁護して、嫌な時間だった。

思春期の自分はその人を邪険にしていた。
思春期という言い方は良くないな。自分を擁護しているみたいだ。
通路をふさぐのが邪魔だったし、異様に食べるのが気持ち悪く見えたし、汚れた手でどこでも触るし、その後始末をさせられるし、すごく嫌だった。

その人は怒らなかった。責められても怒らなかった。

自分は直接怒鳴ったりはしなかったがひどく冷たく接していただろう。

施設に預けることになった時、家の中が大人しくなると安心した。怒鳴り声を聞かなくて済むし、邪険にしなくて済む。目障りなものが消える、そんな感覚に近かった。ひどいやつだな。

施設に家族はたびたび顔を出していた。
はじめのうちは、誘われてもわざわざ会いに行きたくないと思って断っていた。
そのうち、会っても話すことがないと思って断るようになっていた。
最後には、あんな冷たく接していた自分は合わせる顔がないと断るようになった。

最期の8か月くらい前に施設からそろそろですよと言われた。会いに行けなかった。7月。夏のことだった。

11月頃、自分はこのまま会わずに後悔を一生抱えていくんだろうなと思った。
そのあと今更一緒に行くとは言いだしづらく一人で会いに行こうかと少し思うようになった。


会いには行かなかった。

 


その人の呼吸が止まったと告げられたのはお風呂に入っている時だった。祖父がバタバタとして出かけ、なんだろうと思っていたら声を掛けられた。
呼吸が止まったと。
父はお酒を飲んでいたので運転してほしいと。
突然のイベント発生にアドレナリンが出てテンションは高かった。
その一方で、遂にか、と冷静な自分もいた。

急いで頭を洗い流し、コートとカバンを持ってきてくれるとすぐ出れるよと返事をした。

今更急いだってどうすることもできないからと髪を乾かす時間をもらった。

助手席に父を乗せ祖母と母を待つ。240台限定のミニが日本に入ってくるらしい。父が話した。

祖母の身支度が整ったようで祖母と母が遅れてやってきた。シートベルトの確認をした。ルートの確認をした。

こんな時だから安全運転だよ、と普段言わないようなことを口にした。

今日会いに行った祖母によればもう意識もなく返事もなかったらしい。


大きな十字路を右折したのは21:55

初めて施設に入った。
始めて部屋に入った。

久しぶり、いや、初めて会った。

即身仏のようなガリガリの姿だった。
知らない顔だった。

死んで全て流れ出たのだろう、独特のにおいが漂っていた。

いったん部屋の外に出された。
ロビーのようなところで祖父が親類に電話し自分は兄に連絡した。「その人が死んだよ。」という一言だった。

体を拭きにまた部屋に入った。

青いビニールのエプロンのようなものを着ている若い職員の方もいた。この人の目にはこれはどう映っているんだろうとふと思った。

施設の方がパジャマを脱がせた。ガリガリの体だった。

体を拭く作業が始まった。祖父が顔を拭き、祖母、母、父、とタオルを手渡され拭いていった。
最後に自分だった。

母が「まだあったかいよ」と言った。
脚を拭いた。悪くなっている脚を拭いた。
あ、ほんとうだ、まだあたたかい。

一瞬でよくわからなかった。

それから葬儀屋がくるまで待合室に通された。
祖父は葬儀の話を始め、葬儀屋が来てからでいいと宥められていた。そのうちに自販機のところへ行ったりトイレに行ったりさまざまであった。
自分はもう一度その人を見に行った。
ひげを剃ってもらっていた。
「こういうのは男の人慣れてるからねぇ」と柔らかく少し明るい声で話していた。

少しの間、一人になった。
顔を覗き込んでみた。少し怖かった。
おでこを触ってみた。本当だ、温かい。自分の手が冷たいのもあるが、自分より温かかった。自分の手よりも温かい死体だった。
揺らしてみた。力なく動くそれは肉体だった。へぇ、力が入っていないとこんな風に動くんだ。
今度は撫でてみた。結構ざらざらしてて硬い皮膚だった。こんな触り心地だったんだ。
指で押してみた。ゴムみたいな弾力があって跡が残る。
耳を引っ張ってみた。案外普通だった。
足先を触ってみた。爪が伸びてるなぁ。少し冷たくなっていた。

ほぉ、これが死かぁ。

葬儀屋さんが来てストレッチャーに移された。肉体の下にバスタオルを敷いておくと移しやすいんだって。

それと一緒にエレベーターに乗り、施設を後にした。玄関まで職員の方は見送りに来てくれた。


葬儀屋さんに着くと遺体が寝かされ上にドライアイスを乗せていた。夏は大変そうだなと思った。

少しすると檀家のお寺の方が来てお経をあげた。
そのあと、日程の相談。
お寺の人も葬儀屋の人もスマホでスケジュールやら何やらを管理していて文明だなぁと思った。
スマホで火葬場の空きを確認していた。

お通夜、葬儀、火葬等の予定を決めてその日は終わり。

こうやって終わってゆくのか。