変わらない友に安心してしまった。
いつもであれば、変わらない友に安心しただけだっただろう。
自分は安心して”しまった”のだ。
そのことはくるりとひっくり返せば、変わることをあまりにも恐れている自分が映し出されていた。
醜かった。
何年も立ち止まって、足踏みをし、うずくまり、怖くなり、変わらない友に変われない自分を映して安堵していたのだ。なんと醜いだろう。
友と会うのはこんなにも楽しい。くだらない話はもう頭に残っていない。
ただ楽しさが残っているまさに有意義な時間。
次会うときは胸を張って会いたい。誓いとも願望とも呼べない期待に近い夢物語は毎回ピンボケの青写真。本人が現実にする気がないのだろうと誰もが思っている。本人もできないのだろうと俯いている。
ただ、友と会うときは罪悪感を感じないのだ。
それが救いだ。
己の価値を否定しがちな自分にとって人に会うとき「自分には人の時間を奪う価値があるのか」「会って得だと思っていただけるのか」そんなことが頭をよぎる。それを振り払って人に会っている。会っても申し訳ないという罪悪感が霧のように立ち上る。必死に振り払って笑うのだ。
この友とは人生の半分以上友人という関係である。
何回聞いても笑える話があって、性格はまるで違…うつもりだが、似ているとよく言われる。
あいつの方が何倍も強く豪快だ。
躊躇いがないし、思い切りがいい。
ダイナミックガールと呼ばれていると聞いて爆笑した。
その豪快さでA型と主張するので世の血液型占いは信じなくていいと身をもって知った。あれはただの統計データだ。
最大HPがバカみたいに高い。
お酒を飲むと周りがあいつのテンションに追い付く。あいつはアルコールを生成できる体なのだ。飲む必要がない。
あいつは声がでかくてうるさい。会うと10秒くらいで「もう大丈夫でーす」と言いたくなるし実際に言う。
話さなくてもなんかうるさい。顔もうるさいし、行動もうるさい。
バタバタ音を出して走れるくらいうるさい。音を出してなくてもうるさい。
初対面(こちらの一方的な認知だが)の印象も「うるさい」だ。
あいつとは絶対仲良くならないと怒りながら親に言ったらしい。
なんかうるさくて、なんかたまらなく大好きだ。
あいつは本当にかっこよくて尊敬している、自慢の友人だ。
そんなあいつに胸を張って会える自分になりたいのに、なれないでいる。
変われていない自分を肯定して安心してしまった。
申し訳ないという気持ちは沸いてこない。
この気持ちは…………”不甲斐ない”に近いと思う。
”情けない”とは違って”みじめ”とは全然違う。
………そうか、あいつとは絶対に上下の関係にはならないんだ。
胸を張って会う必要なんてないと言ってくれるやつなんだ。
それよりもどこで食べる?と切り出してくれる。
絶対に自分をかわいそうな奴として扱わないんだ。
「そのことって今大事?」って「は?何言ってんの?」と同じトーンで言ってくれる。
自分はあいつがいるからみじめにならないでいられるんだ。
でもそのことであいつに感謝したりなんかしない。
あいつとの関係はそれが当たり前だから。
胸を張って会えるようになった時、酔った勢いに任せて言うんだ。
「あの時さ、本当に嬉しかったんだよ。おかげで生きてこれたんだよ。お前、本当に声でかいな(笑)大声で笑うけど大げさじゃないんだぞ。」
別れ際「またなー」って手を振るんだ。
あいつとは老後も一緒にいるのだけはわかるんだ(笑)
結局あいつの自慢話で締めくくりそうだ。
それは癪なのでもう一人の友の話もしたい。
短くまとめるから読んでいってほしい。
今日はこの3人で会ったんだ。友の話をしたいんだよ。※酔ってない。
この友人はなんでこの2人といるんだろうと言われそうなくらいしっかりしてる。
常識人。将来設計しっかりしてる。嵐が好き。
「かわいい女子」に分類される人間だ。…なんでこの2人といるんだろう(笑)
もともと自分と通学手段が一緒でその中の一人だった。
特に近いこともなく遠すぎもせず、会えば話すし一緒にも帰るし……あれ?なんで仲いいんだろう?
進学を経て地元で会うときたまたまこの3人で集まった?…他にもいた気がする。
え、本当になんでだろう。
でも居心地がいいんだ。居るのが当たり前っていう空気。
そうか。きっかけってさほど重要じゃないことが分かった(笑)
この友人とも長い付き合いになるってわかってる。
今回のブログはどん底みたいな始まり方したのに、やっぱり前を向いて終われるんだ。すごいだろ。これが自慢の友人です。
2人とも!これからもよろしくな!