普段は宝塚の舞台(といっても円盤や配信での視聴がメイン)を観ても手書きの日記にメモする程度なのだけれど、あまりに自分の中に深く入ってきたのでブログに残しておく。
まず、この作品『グレート・ギャツビー』はアメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドの小説「グレート・ギャツビー」を原作としている。
大まかなあらすじは以下の通り。
※宝塚バージョンなので原作と異なるかもしれない。
※ネタバレ注意
平凡タイプのニックがロングアイランドに引っ越してきた。彼の家の隣は城のような豪邸で毎晩のように謎のパーティーが開かれている。
家主の名前はジェイ・ギャツビー。ニックはギャツビーに誘われてパーティーに参加し、自分が湖を挟んでギャツビーの家の向かいに住んでいるデイジーの又いとこであることを話した。
ギャツビーにとってこれは幸運だった。ギャツビーが長年思い続けている相手はデイジーだったのだ。
戦時中にギャツビーとデイジーは恋に落ちるもギャツビーの生まれが、貴族であるデイジーにふさわしくないとデイジーの両親から仲を引き裂かれてしまう。その後デイジーは親の決めた相手トムと結婚しており赤ん坊もいる。
ニックの計らいもあり二人の関係は再熱し、ついにデイジーを賭けてギャツビーとトムがゴルフで競うことになる。
ギャツビーが勝利を収めたがトムがギャツビーの生まれや裏社会で生きてきたことなどを暴露する。デイジーは叫ぶようにトムを止める。そして「帰る」と言い出すがトムに「自分の家かギャツビーの家か?」と尋ねられて力なく自分の家に帰ることを選ぶ。感情的になったままギャツビーの車を運転して帰宅するデイジー。
その道中、人身事故を起こして人をひき殺してしまう。ギャツビーは彼女の罪を被り、被害者の夫の逆恨みで銃に打たれて死ぬ。
ギャツビーの葬儀には、全ての真相を知るニック、新聞記事でギャツビーの死を知った父親、そして一瞬だけデイジーが現れただけだった。
上記のあらすじを踏まえたうえで、いくつか感想を。
一言で表すと、すべてが出揃った舞台だった。
何もかもがこの舞台のために調整されて整えられてきたようだった。役者もタイミングも。スポーツ漫画で例えるならばインターハイ決勝戦。宝塚をご存じの方には納得していただけるだろう、雪組の『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』のような、全てはここに帰着するため…みたいな、全てのゲージがマックスで迎えられた舞台だった。間違いなく月城かなとさんの代表作になる、というのが観たその日に分かる。
ここからは雰囲気、ギャツビー、デイジーの3つに絞って述べていく。
・雰囲気
雰囲気というのは非常に曖昧で、じんわりと漂ってきたり、なんとなく伝わってくるものだ。舞台の照明・セット・衣装・小道具、それだけでは作り物だとわかる。役者が演じていくうちに酒場のセットから酒場に変わっていくのだ。それなのに『グレート・ギャツビー』は舞台に照明がついた途端、人々が動き出す前の一瞬で雰囲気が分かるのだ。ここは酒場なのだと分かる。役者一人一人の佇まいや醸し出すものが合わさっているのだろう。宝塚で「芝居力」という言葉が使われるが、まさに芝居力としか言いようがない。
正直何年か宝塚を見ているが初めての体験で驚きを隠せない。あれはすごい。すごい……。
・ギャツビー
事故の被害者の夫に銃口を向けられて「車を運転していたのはあんたか?」と尋ねられて、自分だと答えられた時の安堵の表情。この表情がなんて心を揺さぶることか……。銃を向けられているのが自分でよかった、デイジーを守ることができたという安堵が伝わってきて涙腺がえらいこっちゃ。でも涙で見逃すわけにはいかない。
ギャツビーは文字通り愛に命を捧げた人だった。
トムは一生ギャツビーに敵わないんだろうなぁ。いや、絶対敵わないよ。
それから、事故を起こして動揺しているデイジーに、自分が罪を被るから何も知らないことにして家に帰るように伝えるセリフがあるんです。
「ここからは一人で行けるね」
こんなに重たく深いセリフだなんて知らなかった。
「一人で」という言葉はちゃんと「僕なしで」の意味で伝わっていて、どこか少女らしい心の抜けていないデイジーに大人になるんだよと諭すようにも感じられて心の芯をギュッと絞られた。運命とか世界とか大仰な言葉を使わなくても強く重たく響くんだ……。
月城かなとさんのお芝居は心の深いところに刺さる。心の芯を直接揺さぶられる。改めて実感した。そして受け取るものの壮大さに放心した。
・デイジー
瀬奈じゅんさん主演の『グレート・ギャツビー』を観たことがある。
当時は、ギャツビーの葬儀に出ないつもりで夫婦でヨーロッパ旅行に行き、結局現れたかと思えばデイジーが無表情でギャツビーのお墓に軽く花を投げて去ってゆくのがまるでわからなかった。
薄情で冷たくて、感情を隠さない(どちらかというとヒステリックになったりする)彼女の感情が急に読めなくなったのを覚えている。
今回は、デイジーの無表情な顔をよくよく見た。力を入れて感情を抑え無理に無表情を作るのではなく顔の筋肉を殺していたように見えた。
ギャツビーの死という形でギャツビーの愛を受け取ったから、彼女の精神を大人にさせたのかなと思った。ギャツビーの恋人ではなく、母親として大人としてあの場に立っていたから泣き出すこともしなかった。それが彼女の無表情の理由なのかと、少しだけわかったような気がした。
ギャツビーの愛を受け取った、とわかったのは、ギャツビーのお墓に投げた花が一輪の白い薔薇だったからだ。
白い薔薇は、ギャツビーが軍にいた頃二人が恋仲だった時の描写に出てきた。
ギャツビーが白い薔薇の花束をデイジーに贈る。その返事としてその花束から一輪、ギャツビーに贈るのだった。
ギャツビーからの愛(代わりに罪を被ること)に対して、受け取った(一輪の白い薔薇)という返事だった。
素晴らしいものを観た。観終わって何時間たってもまだ自分の中が『グレート・ギャツビー』で満ちている。余韻にはまだたどり着けない。観たという視覚的体験ではない。心も含め全身で受け止めたという凄まじい出来事(うまく言えない)だった。
ニック役である風間柚乃さんが、事故の真相を知った後ギャツビーへの「君はあいつらよりよっぽど価値のある人間だよ」という台詞に苦戦していた時、月城かなとさんから「大きな気持ちこそ小さな穴を通して相手に伝えなきゃいけないんだよ」と言われたと知り、たまらず天を仰いだ。
https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2022/greatgatsby/index.html