『ヒロスエの思考地図 しあわせのかたち』広末涼子

 この本は彼女の選んだ哲学者と彼女の好きな尊敬する女性の言葉六十とともに、彼女の経験や思いが二、三ページにわたって記されている。

 

 自分の持つ広末涼子さんのイメージは、透明、軽やか、笑顔、明るい。パブリックイメージと大差ないだろう。彼女のエッセイはどんなに爽やかなんだろう、何を語るのだろう。そう思って手に取った。

 

 「はじめに」の一文目。本の中の広末涼子さんとのはじめまして。

私は、ポジティブ人間です。

 お、おぅ…。

 前述したイメージよりも、でーんとした強さを打ち出されて一瞬ひるんだ。そうか、こういう感じの人なのか。気を取り直して本を開くというのも初めての体験で、なるほど芸能人のエッセイを読むというのはこういうこともあるのかと楽しいはじまりだった。

 読んでいくうちに彼女の生来のポジティブさもあるが、本にあるような獲得してきた言葉や彼女の中で構築された思考回路、周りの人々との関わりの中で、彼女は意志をもってポジティブであり続けているのだと思った。

 

 彼女の選んだ言葉、その哲学者の幅広さも記録しておきたい。ニーチェゲーテといった誰もが名前を聞いたことのある人から、浅学な私の知る限り学問の一環でしか触れることのないヴァルター・ベンヤミンまで。彼女の”思考地図”の広さがうかがえる。

 

 文章のチャーミングさが非常に好きだ。いつもどこかに楽しさを見つけている、制服を着た少女のような軽やかさがある。孔子の言葉について述べた文章が特にユーモアにあふれていて思わず笑みがこぼれる。

子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

 彼女は、八十にして何と言うのだろうと考えるのだ。たしかに(笑) 人生八十年、それどころか百年とも言われる時代だ。孔子は八十歳を迎えることなく七十四歳で没するので本人さえも未知のもの。そこに目をつける彼女のユーモアが素敵だ。

 

 文章は、誰かへの小さなエール、感謝、尊敬、納得、自身の宣言、自身(もしくは未来への?)約束で結ばれている。

 だからだろうか。気持ちいい読後感で、唇を真横に引いて(なんなら口角を少し上げて)「うん」と頷きたくなる。そんな力を心のうちに芽生えさせてくれる。

 「おわりに」より以下の文章を引用してこの記事を終わりたい。軽やかで広く深く考えてることをあまり露わにしない彼女の、視野の広さの片鱗を知ることのできる一文だ。

 彼女の思考地図をもっと隅々まで見せてほしいと思わずにはいられない。そう言っても躱されてしまいそうで、彼女の深みにはまりそうだ。

 また"哲学者"というカテゴリーに囚われてしまうと、時代背景や男女の価値観などに大きく影響されてしまうことに気づき、"私の好きな女性"の言葉も一緒に入れさせていただいた次第です。