気持ちを引きずらないために

Askから。

 

「8月に付き合っていた人と別れてから、すごく孤独で寂しさを感じます。結婚のニュースや噂、インスタを見て人を羨むというより、 心が萎えます。 どう対処したらよいでしょうか。」

 

回答していて、人生において色々な場面で使えるなと思ったので保存用に。

未来の自分にも届きますように。

以下、回答です。


モードの切り替えをしてみたらいかがでしょうか?
別れてからも恋愛モードのままでいると、自由な時間を孤独で寂しいと感じたり恋愛話を憂鬱なものに感じます。
筋トレモード、デトックスモード、断捨離モード、創作モード…なんとなくどれかのモードになるのではなくて、「今はこのモードにする!」と決めて切り替えると案外楽しくなるかもしれません。

家にいるゴミニート と呼ぶ方、呼ばれる方。

Askから。

 

「家にいるゴミニートがマウントとれることあったら全力で煽ってきて本当に嫌😭 言い返したらどうせ暴れるからなんもできない」

 

……あまりに胸が痛く、そして苦しく、回答しながら涙を禁じ得ませんでした。

以下、回答です。

 

 

質問形式ではないのでこちらも回答ではないのですが、自身の経験からあれこれ書かせてください。


まず、その方がものすごくつらいのだろうなと胸に迫るほど感じました。
あなたがその方を「ゴミ」と呼ぶことから、見下して蔑んでいることが分かります。
その方は自分がゴミ扱いされる、大切にされていない、守られていないので安全を感じられていない状況にいます。
「マウントとれることあったら全力で煽って」くるのは、全力で自分はそんなに弱くない、惨めじゃないと、周りにそして誰より自分に言い聞かせたいんです。そうやって自分を必死に守ろうとしてるんです。それでぎりぎり生きています。(それがなくなったら自死が近い証拠です)
煽ってくるのも暴れるのも自分を守るための精いっぱいの抵抗です。


決してその行動をよしとするわけではありません。
ただ、自責の乱反射だと知ってほしい。
ケガした野生動物が暴れると言った方がイメージしやすいですね。
本人が一番自分のことを「ゴミニート」と蔑んでいて、ずっとこんな自分は嫌だと苦しんでいます。どうしたらいいかわからない状況です。
この状態の人にとって「就職すればいい」という解決策は、足を骨折していて血まみれで病気でめまいもするうえに近所のコンビニに行く装備しかないのに真冬にアメリカ横断すればいいというくらい無茶なレベルです。


まずその方に家の中だけは安全だと感じてほしい。
家だけは怯えずに過ごしてほしい。


ニートにとって時間があることは必ずしも自由な時間があることではないんです。
罪悪感、自責の念、自己卑下にずっっと苛まれる長い地獄の時間だったりもするんです。
過眠になったりゲームに逃げたりしてなんとか自分を殺さないでいる場合もあります。


ゴミとかニートとか、そういうことじゃなくてただの人として扱ってほしいと心底思います。
「ごはん食べた?」「お風呂先入りなー」「最近面白いテレビ何?」という会話であったり、昔好きだったお菓子を買っておいたり、それを人伝に渡したり、そういった敵意のなさが少しずつその方の乱反射を小さくしてくれます。
嫌だなと思っているのに無理にやさしげにしてくれとは言いません。むしろそういう心は簡単に伝わってしまうのでやらないでください。(心からその方を思って接してもすぐに他人への猜疑心は晴れません。本当に根気のいる関わりです)


どうしてもあなたにお願いせずにいられません。
どうか敵意をぶつけないでほしい。


心の壁を2枚くらい用意して距離を置く。
関わらない。
煽ってきても言い返さずに流す。もしくはすぐにその場から立ち去る。

 

それだけでいいので、どうかお願いします。

他人と比較しないで生きていく方法は?

Askから。
 
「他人と比較してしまう 比較しないで生きていく方法は?」
 
世の中で何度も繰り返されてきたであろうこの質問に少しだけ光明が差した気がします。
質問してくれた方のためになればと思って色々考えた結果、いつも自分自身が救われています。ありがたい。

以下、回答です。

 

ほぼ無理!
仏教のとある宗派では修業を積んでいって積んでいって、最後の方にあるのが他人と比較をしないことだと聞いたことがあります。
厳しい修行の最後の方にあるものを、どうして一般人の我々が会得できましょう。
 
ひとつ提案できるのは
「自分の悪い時と相手の良い時を比べない」
です。
 
比較しちゃうのはしょうがない!
でも一歩下がって、比較する状態をわかっておくことが大切です。
自分がお腹を壊してる時にお好み焼きをお腹いっぱい食べてる人と比べて、頑丈なお腹憎い…とか考えないじゃないですか。
 
比較した時に
「あれ?相手のコンディション120%の時じゃない?」
「今の自分は比較に適していない…回復してから…」
と一歩下がって見てあげることが、少し生きやすくなる方法になるかと思います。
 
何かあればまた質問してください(*´ω`*)

引っ越し先の内装をこだわりたいAsk

Askの回答を載せます。

 

「悔しいのか泣きたいのかわかりません、引っ越しをするのですが、内装にこだわりインテリアにこだわり、何件も家具屋さんをみて、スタイリストさんに相談して、コーディネート例をみていろいろ考えてきました。 上品にモダンに長く使えるようにたくさん考えてきました。 家族とまだ、家具の打ち合わせは進んでいないのですが、 もしかしたら趣味が合わないかもしれません。 あまりにもセンスや嗜好が違うと一緒に住むのが苦痛になりそうです。 もういっぱいいっぱいです。」

 

以下、回答です。

 

家族と、家具の打ち合わせ進んでないんかーーーい!笑
という第一印象です(笑)
深刻にならずに読んでほしいです。

まず、「もしかしたら」「なりそう」というまだわからない部分に対しての不安が大きくなっていることに気付いてほしいなと思います。
不安は考えれば考えるほど大きくなるので、いっぱいいっぱいになるのは当然です。
そういう時は事実と気持ちを切り離す作業がいいかなと。

事実:
引っ越しをする。内装、インテリア、家具、たくさん考えた。具体的にコーディネート例も考えた。
気持ち:
趣味が合わないかも。 あまりにもセンスや嗜好が違うと一緒に住むのが苦痛になりそう。

事実と気持ちを並べると、事実と気持ちですり合わせの段階がずれているのがわかりますね。
家族でどういう方向性で行くか定まってないうちにあなたは具体的に考えている。
いっぱい考えたものがだめになるかもしれないのは、嫌ですよねぇ。

 

文章を読んでいて、あなたの先入観が強くなっているなぁとも思いました。


家はあなただけのものじゃないです。もちろん家族のうち誰かだけのものでもありません。

あなたにとって愛着のあるぬいぐるみが他の人にとってボロボロの汚れたぬいぐるみであり、あなたにとって少し低いキッチンが他の人にとってちょうどいい高さのキッチンであり、あなたにとって邪魔な棒が他の人にとっては体を支える手すりであります。

家族がどんな方か存じ上げませんが、歳を重ねるほど順応性が低いのは事実です。若い世代にしてみればどう考えても使いやすいのに年老いた世代は使いこなせない。古くて簡単な作りの方が使いやすいというのはたやすく想像できることです。
上記の文章を自分が若い世代だと思って読みましたか?
年月を経ると、自分が年老いた世代になると分かって読めましたか?

家は誰のためのものですか?
誰の笑顔を想像しているのですか?
いつの家族を想像してますか?


「もしかしたら趣味が合わないかもしれません。 あまりにもセンスや嗜好が違うと一緒に住むのが苦痛になりそうです。」
この文には 
「家族の趣味、センスや嗜好が”あなたに合わない”と苦痛になりそう」
という無意識の先入観が表れてます。

責めているように感じるかもしれませんが、責めてません。
自分に合わないものは誰でも嫌です。

よりはっきり言うと、あなたが考えているのであなたにとってよいものになるのは至極当然です。寒がりな人がわざわざ冬に寒い地域に旅行しないくらい当然です!笑
なのでそれを、家族にとってどうなのかな?と打ち合わせしてほしいのです。「たくさん調べて相談もしてきた。上品でモダンで長く使えるようにこう言うのがいいと思うんだ」と”あなたの中で考えるのではなく”話し合ってほしいのです。

話し合いとは、あなたの意見が勝つか、相手の意見が勝つかではありません。
それぞれの意見を合わせて新しい一つの意見を作ることだということを絶対覚えていてほしいです。
(普段”絶対”を使わないのですがとても大事なことなので使いますね)
暑がりと寒がりの人両方がまぁいいかと思えるエアコンの温度を探るんだと思ってください(笑)


あなたの意見(家族も同じように個人的に考えていたらそれも)をベース(叩き台)にして話し合うのはどうでしょうか。
共有スペース、個人スペースで意見の取り入れ方も変わってくるでしょう。
別個体の生き物なので全員が100%満足はしません(笑)本当に心からそう感じます(笑)
違いを受け入れることから一緒に住むことが始まるのかもしれませんね。


深刻にならず。エアコンの温度調整です!笑

 

他人に迷惑ばかりかけている自分の存在意義は

Askの回答を載せます。

 

「自分の存在意義がわからないです。誰かを幸せに出来ず、他人に迷惑かけてばっかりです。こんな私でも生きてる意味はあるんですか?」

 

以下、回答です。

 

私には、あなたが誰かの役に立つことで存在意義を見つけようと思っているように感じます。
実際迷惑ばかりかけて…と思うと「自分なんて」と沈んでしまいます。いない方がいいとさえ思うかもしれません。

それは評価が他人軸で実に不安定です。ノットグッド!笑
もちろん誰かの役に立てたら嬉しいですよ。
でも誰かの役に立つために自分を合わせていくんじゃ、自分が可哀そうです。きついです。


自分がいいと思ってやったことがたまに誰かの役に立つ。

これ、めちゃめちゃいいですよね。

ずっと他人のために生きるんじゃなくて、基本自分のことを精いっぱいやる。いいじゃないですか!自分のことできたらばっちりですよ!


ここで注目すべきポイントは自分のことは完璧にできない方が”愛される”です!

やっぱり、誰かの役に立てたら嬉しいんですよ、人間。
誰かの役に立つというのは、その人自身のことを代わりにやってあげることなんですよ。↓みたいに。
仕事量 100:その人
     80:その人 20:助ける人

そう考えると、あなたの言う他人に迷惑をかけるというのは仕事量を誰かに代わってもらうこと。さらに言い換えると他人があなたの役に立てるチャンスなんです。

…言葉のマジックと思わないでくださいね。
ちゃんと但し書きがあります。
①相手の仕事量が多すぎれば負担
②感謝大事!やってもらって当然という態度はダメ。
たまーに意識して誰かの役に立つ

①②はそのままです。③についてさらに言及しますね。
・”たまーに”とは自分の余裕がある時のことです。
・”意識して”とは他人を見てほしいから加えた言葉です。「この人は何してるのかな」「何に困ってるのかな」「自分は何をできるかな」そういうことを考えてほしいんです。まぁ、練習だと思ってください(笑)
・”誰か”とは本当に誰でもいいんです。あなたを助けてくれた人に直接お返しをしたいと思うもよし、家族でもいいし、スーパーの店員さん、目の前にいない人でもいいんです。
善い行いは巡るものだから誰にしてもいいんです。

長くなって申し訳ないなと思いつつまた付け加えます(笑)
Aの仕事をやってもらったからってAの仕事で返す必要ないんです!
助けてもらった分野ってまだ得意じゃない分野ということもありまよね。
だったらBの仕事でお返しだ!と考えるのもアリです。


「迷惑をかける」ではなく「おたがいさま」の精神で生きていきましょう。
③は案外簡単です。
例として
・震災の影響を受けた人に対して募金をする
・同じスーパーを利用する人のために通路に飛び出した段ボールをちょっと戻す
こういう小さなことでいいんです。
小さなことが大事なんです。

 


最後にあなたがなにかをしたこと、たとえばあなたのシャウトが私に届いたことであなたの関わったすべての世界は少しずつ変わったわけです。
そこにはきっと何か意味がありますね。

私は同じことを抱えて苦しかったことがあり(今も結構)、まるで自分に回答しているようでした。
後ずさりする背中を大丈夫だと受け止めるような、自分が後ずさりしていて後ろを振り返るような、そんな気持ちです。
だから、私はあなたからこのシャウトを受けられてよかったと心から感謝しています。
本当にありがとうございます。


あなたが、ちょっとずつよく生きられますように。
またお話聞かせてください。

よいお年を!

友人に誘われるのがちょっとつらくなってきた話

無職の期間が続いている。

 

天気が良ければ外に出かける。

家族で買い物も行く。

このご時世になる前は年末の同窓会も参加していた。

引きこもりというほどではない。

 

しかし、いよいよ友人に誘われるのがつらくなってきた。

自分が無職であることを友人たちは知っている。

だからと言って腫れものに触るような扱いはしない。

その話題に触れることもしない。各々の仕事の話は普通にする。

とても、とても、やさしい存在だ。

 

社会人になった何年か経てば、恋愛、保険、投資、ふるさと納税…話題は移り変わってゆく。

同世代の人間はこういうことに関心を持っているのか。

お金の使い方が変わってきたなと思うこともある。

無職無収入には全くわからない話だ。

この人たちは、レールを外れることなく生きてきた人たちなんだ。

 

友人たちに会うと元気になれる。

一時元の自分に戻れた気持ちになる。

頑張ろうと思える。

いいことばっかりだ。

 

それなのに、自分を卑下する気持ちが強くなってきた。

あの人たちは自然に時を重ねて一般水準(か少し上)にいる。

自分は下の下。底辺にいる。

 

 

変われていない自分が嫌いだ。

 

友人に胸を張って会えない自分が嫌だ。

 

みっともない自分を隠すようにしているのが嫌だ。

 

 

友人たちが好きだ。

今朝の夢の話

愛しい人に、残りの40日?40時間?分の命を何か(確か苦しみだったと思います)と引き換えに渡すか?って聞いたんです。

そうしたら私の手を両手で握りしめて間髪入れずに「渡す」って。

 

塾の部屋の一番右の机に並んで座っていました。

その儀式は3㎝平方くらいの四角い香木に火をつけて煙を吸うんです。

黄色いアゲハ蝶がいないとダメなんですけど、愛しい人は焦って早く火をつけさせようとするんです。

「まだなんだって」と言い聞かせなきゃなんです(笑)

それで誰かが急いで連れてきてくれたアゲハ蝶を確認して火をつけました。

 

直前に来客があって「出なくていいの?」と聞かれました。

彼女は来訪者の車に轢かれてしまう予定だったのです。ちょうどこんな車です。

f:id:doryarya:20211026060038p:plain

なので、来訪者の車が玄関先に見えた時とても焦りました。

焦って「大丈夫だから」と返します。

他の人が出てくれて何とか回避できました。

ここで何回か失敗しているのでほっとしました。

同時に何回かやっていることを思い出して、自分がループしていることに気付いたのです。

 

無事儀式を始めました。

彼女は風下で火をつけようとして少しあたふたしましたが(笑)

 

その煙を吸った愛しい人から白い煙のように魂がすぅっと抜けていくんです。

その魂は彼女の前に現れた小さい子供のようなものに吸い取られていきました。

あれが悪魔なのでしょう。

なぜか知っていました。

怖くはない、ただの子供の顔でした。

私はそれを左の席で見ていました。

 

儀式を終えると愛しい人は立ち上がって残り時間で何か手伝おうとするんです。

「なにしたらいい?」って聞かれました。

儀式のあとは急激に体が衰えていくんです。

危ないので「2階に行っていてほしい」と言うと、邪魔者扱いして!と言うようにむっとするんです。かわいいでしょ。

そのあと「どれくらいなの?」と聞いてきたので、傾きが1、-5くらいの直線右下がりのグラフを指で描きました。

愛しい人は驚きながらも「そう…」と受け止めてくれて、無理な手伝いはやめて台所の椅子に座ろうとしてくれました。

 

もう自立することはできず私が支えている状態です。

一気に骨骨しくなっています。ガリガリです。

 

私の席に座ると愛しい人は「並んで座ろうよ」と言ってくれました。

涙があふれそうでした。

”並ぼう“と言ってくれたのです。

 

そのあとさつまいもを水に浸したボウルを持とうとして後ろから急いでキャッチしました。無茶をするんです(笑)


2階では祖母がバスセンターに電話をかけてお礼を言っていると誰かが言っています。何かで一時的に2階へ追いやらざるを得なかった祖母です。

 

 

 


そのあたりで目が覚めました。
起きてから、彼女の最期までそばにいてやれなかったことが悲しくて(目が覚めてしまったので)、どんな状況でも感謝を忘れない祖母の強さを思い出して、涙が出ました。

 

彼女は苦しみと引き換えに悪魔に魂を引き渡しました。

これが悪魔との契約かと思いました。

悪魔という呼び名だけれど、狡猾さや怪しさは一切感じられず、その仕事をする者の呼び名でしかないのだなと思いました。

目を閉じたまま、その者にただ「ありがとう、ありがとう」と何度も伝えました。

 

愛しい人は苦しまなかった。

 

祖母を車で、顔馴染みだったスーパーに連れていきたいと思った。

きっと、そろそろラストチャンスだから。