みんな早く死んだ方がいい。

長生きは良いと思い込まされている。

 

実際は体はいうことを聞かなくなるし頭はボケてくる。

年金が減りますという知らせが届き、毎月肩を落としながら年金を下ろしに行く。

ここまでは容易に想像できるだろう。


同世代の知り合いは次々に死に、葬式へ行くたびに雀の涙ほどの年金は消えていく。半年に7回葬式に行くというのも本当にある話なのだ。

箸の置いてある場所もわからなくなり狼狽えていると呆れられ、家族に座っててねと冷たいやさしさに追いやられる。

新しい記憶は次々と消えていくのに惨めさだけは確かに積もっていく。

家族に迷惑をかけ、早く死んでしまいたいとぼやく。

安らかな死に顔を見るたびにあんな風に死にたいねと言う。

楽しみは通い詰めている病院と”毎回”初めて食べる料理だ。

 

 

家族にとっても正直迷惑だ。鬱状態の年寄りに何度も死にたいだの自分の存在は邪魔だの繰り返しウジウジ言われて、「理論立っていない会話でも続けてあげてください」「聞いてあげるのが大事なんですよ」と言われて、イライラをかみつぶしながら「そうだね」「~なんだ」と返事をすれば、年寄りは聞こえなくて「なに?」とか、あるいは全然違うように解釈されて話は飛躍し、怒鳴りつけそうになる。怒鳴りつけるのが良くないのはわかっているから黙るようになる。

もはや、家に家族は存在しないのだ。

 

これはただの吐き出した記事。読み返してもイライラするのでいつか捨てること。