人はいつ許されるのか
人はいつ許されるのか。
最初に疑問を抱いたのは、さだまさしさんの「償い」という曲を聞いた時だ。
曲の中では、交通事故で殺人を犯してしまった”ゆうちゃん”が、被害者の奥さんに毎月仕送りを送っている。そして7年目にして初めて手紙が来る。
ありがとうあなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました
だからどうぞ送金はやめて下さいあなたの文字を見る度に
主人を思い出して辛いのですあなたの気持ちはわかるけど
それよりどうかもうあなたご自身の人生をもとに戻してあげて欲しい
償いきれるはずもないがせめてもと毎月仕送りをしているゆうちゃん。
手紙の中身はどうでもよく返事が来たことが何よりありがたかった。
曲の中で、手紙を見せてもらった”僕”はこう続ける。
彼は許されたと思っていいのですか
来月も郵便局へ通うはずの
やさしい人を許してくれてありがとう
社会的には刑罰を終えた段階で罪の償いは完了している(=許された)ことになるのだろう。しかしゆうちゃんは、7年目にようやく被害者遺族から許されたというのだ。
自分は、この手紙から許されたと感じることができなかった。被害者の奥さんにとって痛ましい記憶を、ゆうちゃんがいつまでもいつまでも掘り返し続けてくるのが辛かったから、もうやめてほしい、解放してほしい、そういった気持ちしか読み取れなかった。
ゆうちゃんの償いは、被害者の奥さんの苦痛だった。
事故を忘れてへらへら生きていても腹が立つだろう。かと言って毎月詫び続けるのも苦痛になる。(月9ドラマ『GOOD LUCK!!』にも似た描写があった)
償いとは何か。
許されるとは何か。
どうすれば許されるのか。
抱えた疑問を、いつしか薄れていた。
このことを約20年ぶりに思い出したのは、2020東京オリンピックの時だ。
2021年。東京オリンピック開会式前日に、開閉会式の演出担当である小林賢太郎さんが解任された。彼は20年以上前のコントでナチスのホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をネタにしたことがあったからだ。
はっきり言って、よろしくない。やってはいけないことの部類だ。
しかしながらこの然るべき解任について、2点引っかかっていることがある。
ひとつ、開会式の前日に解任したこと。
仕事させるだけさせて名前は残させないという労働搾取。文句つけるなら事前に調べておけよ!バカ!
オリンピック委員会の問題なので今回はこれ以上言及しない。バカ!
ふたつ、彼はオリンピック以前に改心していたこと。
「改心していた」と書くと非常に抽象的だけれど、彼はネタにおいてネガティブ要素で笑いを取らないようにしてきたのだ。本人のインタビュー記事をツイートしてくださった方がいたので、引用させていただいた。
『広告批評⑫』NO.321 2007年12月号の対談『脳科学流ラーメンズ進化論 茂木健一郎×ラーメンズ』より。
— まうだりあ(+支援学校小1坊) (@Maudaria) 2021年7月30日
今から約14年前の記事です。“ルッキズム”という言葉が全く一般的では無かった頃、すでに小林賢太郎氏には「欠点を笑うことは美しくない」という意識がありました。 https://t.co/8wuhvITmgs pic.twitter.com/nPkXX3OlMd
改心の結果であるその後のネタがどんなものであるか、YouTube動画に公式がたくさん上がっているので見てもらえたら嬉しい。(余談だが、ラーメンズの動画の収益はすべて赤十字に寄付される。)言葉やリズム遊び、激しい緩急、時には唸るほど計算されたネタは、シニカルであっても人を傷つけることがない。
1998年。23年前。当時25歳。
彼が許されるべき、という主張ではない。
決して許してはいけない、という主張でもない。
人生において
一度も間違えたことのない聖人君子などいないだろう。
読んでいるあなたも間違えたことがあるだろう。
人はいつ許されるのか。
どうすれば許されるのか。
反省していますと言えば許されるのか。
その後の姿勢で許されるのか。
7年。
23年。
いつまでも許されないのか。
許されるとは何なのか。
このことを思い出す日が、いずれまた来る。