30代主婦の服は?

Ask.fmでこんな質問を受けました。

普段から安物の服を着て、育児をしている三十代主婦が、高価そうな服を着ている最近引っ越してきた主婦に嫉妬していました。見苦しいですね?

それについて自分なりの回答をさせてもらいました。この方に、主婦理由で諦めたり勇気づけたりしたくなくて、ただ、笑顔になってほしかったんです。

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全然見苦しいことではないです!
むしろ、自分を大切にするチャンスです!

きっとその方は自分の服にお金を回さずに節約して、育児を一生懸命頑張っている方なんだと思います。本当におつかれさまです。

最近引っ越してきた方が高価そうな服を着ているとのことでしたが、”高価”そうな服だからではなく、”自分の服にまで気を遣う(精神的or経済的)余裕がある”ように見えるから嫉妬しているのではないでしょうか?

嫉妬は自分が傷ついている時にやってくるものです。
「自分は○○なのに、あの人は××でいいなぁ」
の○○の部分に傷ついているあなたがいるんです。
だから、嫉妬している自分に気づけたということは傷ついた自分を大切にするチャンスなんです。


服の話になるのですが、お気に入りの服に出会うと、レジに並んでいるとき、買うとき、着るとき、洗濯して干すとき、ハンガーにかかっているのを見たとき、毎回幸せになれますよね。勝手に顔がにやついちゃうくらい。
しかも着ているときはとっても素敵な自分になれる。なんならいつもよりちょっと強い気がしませんか?笑
服ってそんな素敵な魔法がかかっていると思うんです。

だから、頑張っている自分にお気に入りの服を買ってあげてほしいです。それは“これからのあなたへの魔法”なんです。お気に入りの服を買うことで自分に魔法をかけてほしいです。


育児をしているとショッピングがゆっくりできないと聞きました。ネットでじっくりと「これかわいい!」「これはちょっと若いかなぁ(笑)」なんて思いながらお気に入り候補を探してみるのはどうでしょうか?
そのままネットで買うのも、似たものをお店で探すのもいいですよね。探す時のわくわくっていいですよね(笑)

 


お気に入りの服を着て笑う女性は素敵です!


【値段ではなくお気に入りを】

夢は、どうやったら諦められるのでしょうか

自分には、6年ほどになるでしょうか、飽きっぽい性格の割に、割と、そう「割と」くらいなのかもしれませんが、目指してきた夢がありま、した。いえ、たぶん今も。目指したい夢があります。でも、過去形にしたくてしょうがないんです。

 

最初は漠然と、楽しそうだな、好きだな、と思っていました。

大学も、その夢を叶えるために選びました。

でも、その夢のきっかけとなった人に「そういう人と一緒にしたくないよね」と言われてしまいました。

わかるんです。

自分のことばかりで周りを見れない人間と一緒にしたくないことも。

精神的に追いつめられると自分のことで手一杯になることも。

そう言って自分を注意、戒め、もしかしたら鼓舞しようとしてくれたことも。

わかるんです。

自分の力量がないだけだということも。

わかってるんです。

その言葉にかこつけて、逃げているだけの自分にも、気づいているんです。

 

ただ、その夢があまりにも大事だから、こんな自分がなっちゃいけないんだと、動けないんです。

その夢に縛られていて、もはや、夢ではなく、足枷や呪いなんじゃないかと悲しく笑っているんです。

 

 

元”夢”と同種のことをしてみました。それ自体は楽しいけれど、体と精神がダメになりました。

 

違う夢が欲しい。違う夢が欲しい。夢が欲しい。

 

叶わなかった夢への未練の断ち方を聞いてみたりもしました。
多くの人が

「新しい夢を見つける、そのためには自分の好きなことを探す、それがなければ、まず目の前のことをコツコツやる」

そう言うんです。

なかには、「その夢と同種の夢を目指してみる」「一番叶えたい夢は叶えない方がいい」という少しだけ私を癒してくれるものがありました。

 

話は逸れますが、吉田拓郎さんの曲『永遠の嘘をついてくれ』の一節「人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから」を思い出し、全くその通りだと思った次第です。

 

新しい夢を探しに、今夜も眠ることとします。どうか、あなたにはよい夢を。おやすみなさい。

自分を営む

どんな会社の経営者になりたい? 経営者になれるとしたら、どんなことをする?

今後もたびたび出てくる、Askfmでランダムで出てきた質問です。

どうですか?あなたならどう答えますか?

 

これって本当に会社のことでしょうか?

 

会社のことを答えたようで本当は「生き方」を答えませんでしたか?

 

聞いたことと本当に聞いたことが違うとても面白い質問だなと思うと同時に、自分という会社の経営者は自分自身なのだとスッと心に入ってきました。

 

短い記事ですけど、下書きを成仏させるということでこれで。

 

忘備録として、以下が自分の回答でした。

人と人との交流、こころ、教育、こども、斜めの関係、笑顔。こんなコンセプトの会社かな。企業概要、事業内容、利潤追求もまったくわからないけれど(笑)

経営者になれるとしたら、
会議は短くする(笑)
社員のためにお金を使う
会社の中をふらふらする
クライアントの方と目を合わせる
あとは社長室でゴルフの練習かな(笑)

 

月を楽しむ人

2017年7月9日は満月でした。満月を十五夜と呼ぶことは多くの人が知っているだろうと思います。

童謡の『うさぎ』で「うーさぎ、うさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月さま見て、跳ーねーる」と歌って知った人が大半かもしれないですね。

 

では、十五夜の次は何でしょうか?

15の次なのだから当然16だと推測するに違いないでしょう。

実際その通りで十六夜と書きます。ただし、読み方は「いざよい」なのです。

 

古典や漢字が好きな人は読めるよと答えるかもしれませんね。

では、なぜ「いざよい」と読むのかご存知でしょうか?

 

「いざよい」はもともと動詞の「いざよう」に由来しています。

「いざよう」には、進もうとしてなかなか進まない、ためらうなどの意味があります。

満月である十五夜を過ぎると月が出てくるのが遅くなり、その様子がためらっているようであることから十五夜の次は十六夜と書いて「いざよい」と読むのです。なんとも風情のある言葉ですね。

 

ここから少し面白いのが、十六夜のさらに次なのです。

17日の月を立待(たちまち)月、

18日の月を居待(いまち)月、

19日の月を寝待(ねまち)月

と呼びます。


月の出を待つ人の姿勢を名前にしているのがなんとも風情があると思いませんか。

 

今夜は少し、月を見上げてみてください。

 

日本語を味わおう1 オノマトペ

普段使っている日本語。

しかし、手段としか見ていないのではないだろうか?

日本語はもっと面白いものだと、もっと味わい深いものだと、声を大にして言いたい。

 

 

前置きはさておき、今日はオノマトペについて述べていきたい。

オノマトペとは、
自然界の音・声、物事の状態や動きなどを音(おん)で象徴的に表した語。音象徴語。擬音語・擬声語・擬態語などのことである。
 
簡単に言えば、にゃーにゃー、ぺたぺた、わくわく、ぶよぶよなどのことだ。
 
 
 
ここに一つ、「入れ替えたらどうなるか」という仕掛けを用意してみた。するとどうだろう。
 

とことこ 歩く
ことこと 煮込む

とぼとぼ 帰る
ぼとぼと 落とす

きこきこ 舟をこぐ
こきこき 肩が鳴る

げしげし 蹴る
しげしげ 眺める

かちかち クリックする
ちかちか 点滅する

ずしずし やってくる
しずしず ついてくる

ちびちび 飲む
びちびち 跳ねる

どくどく 脈打つ
くどくど 愚痴を言う

 

探してみると実に面白い。

オノマトペを思い浮かべるとき、その光景まで頭に浮かんでくるのが心地良い。

 

他にもないかぜひ探してみてほしい。よければ見つけた際に教えてほしい。

 

 

最後に一つ、こんなものも見つけたという報告で締めたいと思う。

 

ぷかぷか 浮かぶ
かぷかぷ 笑った

ってこれはクラムボンか(笑)

 

みんな早く死んだ方がいい。

長生きは良いと思い込まされている。

 

実際は体はいうことを聞かなくなるし頭はボケてくる。

年金が減りますという知らせが届き、毎月肩を落としながら年金を下ろしに行く。

ここまでは容易に想像できるだろう。


同世代の知り合いは次々に死に、葬式へ行くたびに雀の涙ほどの年金は消えていく。半年に7回葬式に行くというのも本当にある話なのだ。

箸の置いてある場所もわからなくなり狼狽えていると呆れられ、家族に座っててねと冷たいやさしさに追いやられる。

新しい記憶は次々と消えていくのに惨めさだけは確かに積もっていく。

家族に迷惑をかけ、早く死んでしまいたいとぼやく。

安らかな死に顔を見るたびにあんな風に死にたいねと言う。

楽しみは通い詰めている病院と”毎回”初めて食べる料理だ。

 

 

家族にとっても正直迷惑だ。鬱状態の年寄りに何度も死にたいだの自分の存在は邪魔だの繰り返しウジウジ言われて、「理論立っていない会話でも続けてあげてください」「聞いてあげるのが大事なんですよ」と言われて、イライラをかみつぶしながら「そうだね」「~なんだ」と返事をすれば、年寄りは聞こえなくて「なに?」とか、あるいは全然違うように解釈されて話は飛躍し、怒鳴りつけそうになる。怒鳴りつけるのが良くないのはわかっているから黙るようになる。

もはや、家に家族は存在しないのだ。

 

これはただの吐き出した記事。読み返してもイライラするのでいつか捨てること。

眩しすぎて目がくらむ

知り合いの生きがいは、いろいろな人に会うこと、楽しいことをすること、だそうだ。

それを話す人はキラキラしていて輝いていて、眩しくて、目がくらんだ。

なんでそんなことをキラキラしながら話せるんだ。”そんなこと”は、全部自分の諦めてきたことだった。

 

惨めさを感じた。相手に非はない。自分の感じ方が悪い。それだけのことだった。

たった、それだけのことだった。