ビーサンが好きだ。
ビーチサンダル、そう、ビーサン。
パタンと音を鳴らしながら歩くのが好きだ。
慣れてくるとつま先の力の入れ具合でパタパタンッと2回鳴らせる。
パタン、パタパタン、パタパタンッ、パタン
夏が終わってもビーサンをやめられない。
軽やかな音はただの買い出しさえも陽気にさせてくれる。
パタタン、パッタン、パタパタン、パタン
ビーサンは陽気に過ごすためのものだ。
色々な情報に触れていく中で、なにが嘘かなにが本当かわからなくなったことはありませんか?
情報がバラバラで取捨選択ができなかったり、本当であってほしいことが嘘だったりしたとき、そう感じると思います。
嘘と本当は「自分にとっての嘘」と「相手にとっての本当」の間に生じます。
このズレは大きく分けて2パターンあるので少し話していきますね。
1つ目は2人が同時にあるものを見ている場合です。
たとえば円柱があるとします。横から見ているあなたにとって「長方形」が本当で、上から見ている相手にとって「円」が本当です。
どちらも「相手にとっての本当」は「自分にとっての嘘」ですよね。でもどちらも本当です。
この場合、相手の立場に実際に立つとすぐにわかりますよね。
2つ目は一人だけ実物を知っている場合です。
たとえば口コミです。日頃濃い味に慣れている人にとっての本当である「味が濃かった」は日頃薄味に慣れている人にとっても本当でしょうか?
きっと「本当だ」とわかると思います。
でも、それはなぜでしょうか?それは「味が濃かった」という人がどんな人か知っているからではないですか?
この場合、伝えてくれる人がどんな人か知ることで、ズレが小さくなりますね。
世界のすべてを直接自分で知ることは大変難しいです。伝聞で知ることが大半だと思います。
その時に、どんな人が判断し伝えているのかを知ることが、あなたにとっての嘘か本当かを見極める手助けになると思います。
まず、人なぜ嘘をつくのか考えたことありますか?
理由はたくさんあるでしょうが、その根本にあるのは何かを守るため
ってもんでございます。(昭和元禄落語心中を見たばかりなもので、話し方がうつっています)
なので、弱みがある人間しか嘘はつきません。
弱みがあるってことは人間らしくて良いですね。
人間の歪んだ部分、柔らかな部分、尖った部分、欠けている部分、そういうものが人間たらしめるものだと思います。
しかしそんな部分ばかりを見せびらかして「自分は弱い、ダメだ」と叫んでもだれも見向きはしてくれません。そんな部分を隠して一丁前の人間のフリをするためにもやはり嘘が必要になってくるでしょう。
あらためて、嘘がバレない方法というものを話しましょう。
嘘がバレるのは、その場でおかしな様子だからか、のちに帳尻が合わなくなってくるかの2択です。帳尻が合わなくなってくるのは当人の力量不足。自分の力量を考えずに大ぼらを吹いたか、最初の嘘を守ろうと嘘を重ねていったか。なるほど嘘をつくには自分の力量を見極めてからってのが大事だなと、この場で確認できたのはいいことだ。
ここで話したいのは、そんな自分の力量を見極められた方々が、嘘をつく現場でいかにバレずにやり過ごすかということでございます。簡単です。
余計なことを話しすぎない。普通に振る舞う。
クールなタイプならできるでしょうし、その方々はそもそもこの記事を読んでいないでしょう。
そうでない場合です。嘘をつく技術が低いのであれば、周りの嘘を見抜く技術を下げればいい。さらに言ってしまえば、嘘を見抜く気なんて起こさせなければいい。戦わずして勝つことこそ優れた武将の取る戦法ですから。
嘘を見抜く気を起こさせないには警戒されないことが一番です。
つまり、昼行灯(ひるあんどん)になることです。ピエロ、アホを演じると言えば簡単でしょうか。
そして、簡単でバレる嘘を日頃からつくことです。
バレバレの嘘をついていると周りは「この人は嘘がわかりやすい」といとも簡単に警戒を解いてくれるのです。「嘘がわかりやすい」と思い込ませることはとても便利です。本当にバレたくない嘘をつく時、ごく自然に話せばいいだけなのです。相手は一寸もあなたを疑ってはいない状態ですから。
気を付けるべき相手は鋭い人間です。あなたが昼行灯を演じているのでは?と疑う、もしくは、気づく人間もいることでしょう。そういう人間には腹を割って話した方が賢いです。嘘をばらして、味方になってもらうか見て見ぬふりをしてもらうかするのが気苦労もしないで済みます。
最後に小話的なことをいいますが、「嘘をつく」の「つく」とは「吐く」と書くのだそうです。どんなに苦しい思いで吐いているのでしょうね。吐かないで済むのならそれがいいでしょう。日頃から嘘をついていると、嘘をつかないではいられない人間になってしまいますよ。
何より、自分への嘘でいっぱいになってしまいますから…。
このたび5年半に及ぶ、中島みゆきのオールナイトニッポン月イチが最終回を迎えてしまった。
みゆきさんは「クールの切れ目だから」とあっさりしていた(あまりにあっさりしていたあので最初聞いた時は聞き流してしまい、気づかなかったほどだ)が、樹木希林さんの訃報があった日の深夜に最終回なもので、実は病気なんじゃ…といらぬ心配をした。
そしてその最終回を未だに聴けずにいる。
このクセ、昔からそうだなぁと笑ってしまう。
思い返せば、好きなドラマの最終回も好きなアイドルの卒業公演も何か月か遅れて見たことがある。いまだに見ないで半年以上寝かせているものだってある。
終わってしまうことが寂しいのだ。見たら「最後」が始まり、そして終わる。
「最後」の最後を迎えてしまったら本当に終わってしまうのだ。
終わることを受け入れられていないと言う人もいるだろう。
これが自分の寂しさの表現なのだ。
愛しさの残り香は寂しさなのだ。
「イヌみたいだよ!もっと誇りを持ちなよ!」
お盆に同級生とプチ同窓会なるものをした時、強い女子に言われた。
めちゃくちゃ嬉しかった。
仕事を辞めて辛さが自分の中を駆け巡ってる時にもらった「大丈夫だよ」や「大変だったね」は「ああ、自分、仕事辞めてよかったんだ。間違ってなかったんだ」と安心させてくれた。
孤立したと勝手に思っていた自分に味方がいると教えてくれた。
今回、人間関係で痛い目にあった自分は「大切にしてくれるならだれでもいい~」と酒の勢いで言ったのだった。
すると強い女子が「イヌみたいだよ!もっと誇り持ちなよ!」と叱ってくれた。
ハッキリ言って、めちゃめちゃ嬉しかった。
イナズナに打たれたみたいに希望の光が刺さった。
道しるべができた。
自分は誇りを持っていいんだ
誇りを持てる自分になろう
前職で心身ともにヤられた自分は、自己を卑下することばかり得意になっていた。いや、そうならざるを得なかった。無職になった自分には生産性がなく生きる価値がない。働かざるもの食うべからず。そんな植え付けられた考えが自分を追い込んでいた。
自分を大切にすることができなかった。大切にする価値が自分にないと信じ切っていた。
誇りなんて、もっと昔に捨ててきた。捨ててきたことに気づかないくらい遠い昔に、いつの間にか。
強い女子が「誇り」を教えてくれた。
ただただ、めちゃめちゃに、すんごく嬉しかったので、ここに記す。石碑完成。
イヤリングって片方だけ残るからイヤよね
片方だけ残るからもう片方をなくしたって気づいちゃうの
両方なくなれば なくしたことにも気づかない
一緒ならさみしい思いもしないだろう
もう会えないだろうになんとなく捨てられない
片方だけのイヤリングの入った箱
右でも左でもない 片方
きっとどっちにもなれたんでしょうね
もう どっちにもなれないんでしょうね
キラキラしたそれにフタをして棚にしまう
箱の中では輝かないわ
次に開ける時はあんたたちと同じ半端者を連れてくるわ
半端者 どれだけ集まってもみんな半端者
スマホで画像を見せながら言う。
「この人と同じ髪型にしてください」
担当の美容師の方を持たない自分は、美容室に行った時その場にいた方に切ってもらう。
名乗りもせず、髪型の相談が終われば黙々と切ってくれる。個人情報を話すことがさも当然のような空気も、「コミュニケーション中」というパッケージも、愛想笑いの踊り場もここには存在しない。店内のBGMとハサミの音だけが流れていく。
ここ最近は髪型を変える予定がないので同じ画像を見せているのだが、毎回違う髪型になる。今回に関してはヘルメットとしか言いようがない…。
自分の中の服部平次が困り顔で言う。
「切り過ぎちゃうか?」
さらに服部平次が推理を続ける。
「同じ髪型にしたか、同じバランスにしたか、の違いや」
さすが西の名探偵だ。
写真の人とは骨格レベルで違う。こんなに小動物系の骨格ではない。ああ、かわいい。骨格はもちろんなのだが、なんてったって顔がいい。
ああ、着床からやり直したい・・・。
骨格レベルの違いを考慮せず今回のように髪型をそのままコピーしてしまえば、白鵬に子供用ヘルメットを乗せた図が出来上がる。笑ってはいけない相撲部屋だ。美容師のお姉さん・・・アウトです。
一方、前回はバランスをコピーしていたようだ。白鵬に標準よりやや大きめのヘルメットを被せてくれた。これで安心して自転車乗れるよ!ありがとう!
「バイクちゃうんか!」
服部平次よ、ツッコミまでありがとう。
「同じ」という言葉は簡単に使えるけれど「同じ」ように伝わるとは限らないね。
上手な美容師かどうかは、きっとここに表れるのだろう。
美容室、出来上がるまでドッキドキ。
眼鏡あるあるでした。