父親との出来事

ひとつ前の記事で述べた通り、父親との出来事に少し触れる。

少ししか触れないのは、自分が耐えられないからだ。

だから、これはいつか対峙しなければならないこと。

 

そもそも、この話題に触れる必要があると自分で感じたのは、メモ用紙に自分の考えていることを書き出す作業をしたからだ。これが経緯。

 

そして父親との関わりで一番自分に影響を及ぼした出来事が、これから少し触れる出来事。

 

 

高2の12月

 

このワードだけで動悸が速くなるのを感じる。書き出す作業の時、動悸が速くなるだけではなく文字が急にゆがみ始めて書ききれなかった。涙が出てきて耐えられなかったのだ。今もそうだ。涙が、動悸が…。目を見開いて、深呼吸してキーボードを叩く。

逃げたい。でも、いつまでも逃げ続けてはいられない。

 

高校2年生。

勉強はできる方で楽しいと感じていた。先生に質問に行くのが楽しいと感じる学生だった。目の前の問題に取り組んで「できたー」と無邪気に喜ぶタイプだった。

 

12月。

夜、父親に呼び出されて進路の話をしなければならなかった。父親はビール片手にパソコンでゲームをしていた。

話の内容は

・志望大学が決まっていないのになんとなく勉強していたら”なんとなく”で落ちる

・大学に入るなら卒業できる学力を持って入学しろ

・それができないならお前は遅れている

・大学は教授で選べ

・教授は専攻分野で選べ

・教授の専攻分野に興味がない?興味を持て

ぱっと思い出せるものでもこんな感じでした。

 

話が終わる頃には12時を過ぎていたかと思います。

自室で泣き崩れて親友にもらったぬいぐるみに、取れない涙の痕がつきました(笑)

 

触れた。よく投げ出さなかった。追記してもいい。今日はこれで終わらせてください。

アダルトチルドレン

自分の中を整理したくて、考えていることをメモ用紙に書き出して机に並べていくという作業をした。

 

恥ずかしながら、自分を見直す作業だ。

 

教員になりたかった頃の気持ちがうまく整理できていなくて。

 

教員になりたい理由として「生徒と接するのが好きだから」

生徒と接するのが好きな理由として「子供のままの自分でいれるから」

 

 

 

愕然とした。

 

 

最近Twitterで、自分は幼児的願望が満たされていない、いわゆるアダルトチルドレンだということを認識した。認めた、というよりは見させられたという感覚だった。

父親のせいで…とは言いたくないのだが、父親に由来する、よる、感覚なのだとはすぐにわかった。

「子供のままの自分でいれるから」

そうだったのか…

 

結局、自分は、自分で生きていなかったのだ。

 

 

次の記事で父親との出来事について少し触れる。

 

 

はてなブログを始める目的

 言語化することが怖い。

 

 今自分の中にある感情だ。

 昔は「言葉で語るなんて粋じゃないなぁ」なんて言って、言葉にすることを避けてきた。江戸っ子でもないのに本当にそう思っていた。

 

 しかし、ある程度歳を重ねてからは

「言葉にするのがめんどくさい」

「どうせ伝わらない」

「自分の中の負の感情を言葉にして直視することが怖い」

というように気持ちが変遷してきた。そして歳を重ねるほどに、言葉にしないことの問題に気付き始めた。「自分の気持ちがわからない」のだ。モヤモヤするのにそれを解決する方法以前にモヤモヤの正体がわからず対処できない。これは厄介なことで、「わからない」という影がモヤモヤを大きくして自分を押しつぶしてくる。

 

 人と話したり文章を読んだりすると、ああ自分はこういうことが言いたかったんだと思うことが多い。人の言葉で納得する。つまり、自分の言葉で生きていないのだ。このことに気づいたとき、モヤモヤが生まれた。このモヤモヤが何なのかを言い表すことすらできないので、モヤモヤが重なっていく。自分の人生を自分で生きていないのは嫌だ。

 

 また、海に漂う海藻のように、なんとなく生きているので語れるようなものがない。語れるほどの自分の好きなものがわからないのだ。世の中で見聞きしているうちに、何も語ることのできない薄っぺらい自分が情けなくてむなしく思えてきた。自分の活力になるものがないようで、寂しさとともに少しの怖さも感じる。

 これは自分の性格にも帰来するのだろうが、言語化することで自分がどう考えているのか感じているのかを知るきっかけになればいい。

 

 以上2点、

・言語化する恐怖を克服することで、自分の人生を自分で生きる

・言語化することで自分の思想を認識する

という目的をもって、このはてなブログを始める。

 

 なお、今後の自分に対して「推敲を重ねないこと」を課す。完璧を目指していつまでも完成させないことを避けるため、そして読み返した時に自分の文章の拙さを笑うために心に留めておいてほしい。