引っ越し先の内装をこだわりたいAsk

Askの回答を載せます。

 

「悔しいのか泣きたいのかわかりません、引っ越しをするのですが、内装にこだわりインテリアにこだわり、何件も家具屋さんをみて、スタイリストさんに相談して、コーディネート例をみていろいろ考えてきました。 上品にモダンに長く使えるようにたくさん考えてきました。 家族とまだ、家具の打ち合わせは進んでいないのですが、 もしかしたら趣味が合わないかもしれません。 あまりにもセンスや嗜好が違うと一緒に住むのが苦痛になりそうです。 もういっぱいいっぱいです。」

 

以下、回答です。

 

家族と、家具の打ち合わせ進んでないんかーーーい!笑
という第一印象です(笑)
深刻にならずに読んでほしいです。

まず、「もしかしたら」「なりそう」というまだわからない部分に対しての不安が大きくなっていることに気付いてほしいなと思います。
不安は考えれば考えるほど大きくなるので、いっぱいいっぱいになるのは当然です。
そういう時は事実と気持ちを切り離す作業がいいかなと。

事実:
引っ越しをする。内装、インテリア、家具、たくさん考えた。具体的にコーディネート例も考えた。
気持ち:
趣味が合わないかも。 あまりにもセンスや嗜好が違うと一緒に住むのが苦痛になりそう。

事実と気持ちを並べると、事実と気持ちですり合わせの段階がずれているのがわかりますね。
家族でどういう方向性で行くか定まってないうちにあなたは具体的に考えている。
いっぱい考えたものがだめになるかもしれないのは、嫌ですよねぇ。

 

文章を読んでいて、あなたの先入観が強くなっているなぁとも思いました。


家はあなただけのものじゃないです。もちろん家族のうち誰かだけのものでもありません。

あなたにとって愛着のあるぬいぐるみが他の人にとってボロボロの汚れたぬいぐるみであり、あなたにとって少し低いキッチンが他の人にとってちょうどいい高さのキッチンであり、あなたにとって邪魔な棒が他の人にとっては体を支える手すりであります。

家族がどんな方か存じ上げませんが、歳を重ねるほど順応性が低いのは事実です。若い世代にしてみればどう考えても使いやすいのに年老いた世代は使いこなせない。古くて簡単な作りの方が使いやすいというのはたやすく想像できることです。
上記の文章を自分が若い世代だと思って読みましたか?
年月を経ると、自分が年老いた世代になると分かって読めましたか?

家は誰のためのものですか?
誰の笑顔を想像しているのですか?
いつの家族を想像してますか?


「もしかしたら趣味が合わないかもしれません。 あまりにもセンスや嗜好が違うと一緒に住むのが苦痛になりそうです。」
この文には 
「家族の趣味、センスや嗜好が”あなたに合わない”と苦痛になりそう」
という無意識の先入観が表れてます。

責めているように感じるかもしれませんが、責めてません。
自分に合わないものは誰でも嫌です。

よりはっきり言うと、あなたが考えているのであなたにとってよいものになるのは至極当然です。寒がりな人がわざわざ冬に寒い地域に旅行しないくらい当然です!笑
なのでそれを、家族にとってどうなのかな?と打ち合わせしてほしいのです。「たくさん調べて相談もしてきた。上品でモダンで長く使えるようにこう言うのがいいと思うんだ」と”あなたの中で考えるのではなく”話し合ってほしいのです。

話し合いとは、あなたの意見が勝つか、相手の意見が勝つかではありません。
それぞれの意見を合わせて新しい一つの意見を作ることだということを絶対覚えていてほしいです。
(普段”絶対”を使わないのですがとても大事なことなので使いますね)
暑がりと寒がりの人両方がまぁいいかと思えるエアコンの温度を探るんだと思ってください(笑)


あなたの意見(家族も同じように個人的に考えていたらそれも)をベース(叩き台)にして話し合うのはどうでしょうか。
共有スペース、個人スペースで意見の取り入れ方も変わってくるでしょう。
別個体の生き物なので全員が100%満足はしません(笑)本当に心からそう感じます(笑)
違いを受け入れることから一緒に住むことが始まるのかもしれませんね。


深刻にならず。エアコンの温度調整です!笑

 

他人に迷惑ばかりかけている自分の存在意義は

Askの回答を載せます。

 

「自分の存在意義がわからないです。誰かを幸せに出来ず、他人に迷惑かけてばっかりです。こんな私でも生きてる意味はあるんですか?」

 

以下、回答です。

 

私には、あなたが誰かの役に立つことで存在意義を見つけようと思っているように感じます。
実際迷惑ばかりかけて…と思うと「自分なんて」と沈んでしまいます。いない方がいいとさえ思うかもしれません。

それは評価が他人軸で実に不安定です。ノットグッド!笑
もちろん誰かの役に立てたら嬉しいですよ。
でも誰かの役に立つために自分を合わせていくんじゃ、自分が可哀そうです。きついです。


自分がいいと思ってやったことがたまに誰かの役に立つ。

これ、めちゃめちゃいいですよね。

ずっと他人のために生きるんじゃなくて、基本自分のことを精いっぱいやる。いいじゃないですか!自分のことできたらばっちりですよ!


ここで注目すべきポイントは自分のことは完璧にできない方が”愛される”です!

やっぱり、誰かの役に立てたら嬉しいんですよ、人間。
誰かの役に立つというのは、その人自身のことを代わりにやってあげることなんですよ。↓みたいに。
仕事量 100:その人
     80:その人 20:助ける人

そう考えると、あなたの言う他人に迷惑をかけるというのは仕事量を誰かに代わってもらうこと。さらに言い換えると他人があなたの役に立てるチャンスなんです。

…言葉のマジックと思わないでくださいね。
ちゃんと但し書きがあります。
①相手の仕事量が多すぎれば負担
②感謝大事!やってもらって当然という態度はダメ。
たまーに意識して誰かの役に立つ

①②はそのままです。③についてさらに言及しますね。
・”たまーに”とは自分の余裕がある時のことです。
・”意識して”とは他人を見てほしいから加えた言葉です。「この人は何してるのかな」「何に困ってるのかな」「自分は何をできるかな」そういうことを考えてほしいんです。まぁ、練習だと思ってください(笑)
・”誰か”とは本当に誰でもいいんです。あなたを助けてくれた人に直接お返しをしたいと思うもよし、家族でもいいし、スーパーの店員さん、目の前にいない人でもいいんです。
善い行いは巡るものだから誰にしてもいいんです。

長くなって申し訳ないなと思いつつまた付け加えます(笑)
Aの仕事をやってもらったからってAの仕事で返す必要ないんです!
助けてもらった分野ってまだ得意じゃない分野ということもありまよね。
だったらBの仕事でお返しだ!と考えるのもアリです。


「迷惑をかける」ではなく「おたがいさま」の精神で生きていきましょう。
③は案外簡単です。
例として
・震災の影響を受けた人に対して募金をする
・同じスーパーを利用する人のために通路に飛び出した段ボールをちょっと戻す
こういう小さなことでいいんです。
小さなことが大事なんです。

 


最後にあなたがなにかをしたこと、たとえばあなたのシャウトが私に届いたことであなたの関わったすべての世界は少しずつ変わったわけです。
そこにはきっと何か意味がありますね。

私は同じことを抱えて苦しかったことがあり(今も結構)、まるで自分に回答しているようでした。
後ずさりする背中を大丈夫だと受け止めるような、自分が後ずさりしていて後ろを振り返るような、そんな気持ちです。
だから、私はあなたからこのシャウトを受けられてよかったと心から感謝しています。
本当にありがとうございます。


あなたが、ちょっとずつよく生きられますように。
またお話聞かせてください。

よいお年を!

友人に誘われるのがちょっとつらくなってきた話

無職の期間が続いている。

 

天気が良ければ外に出かける。

家族で買い物も行く。

このご時世になる前は年末の同窓会も参加していた。

引きこもりというほどではない。

 

しかし、いよいよ友人に誘われるのがつらくなってきた。

自分が無職であることを友人たちは知っている。

だからと言って腫れものに触るような扱いはしない。

その話題に触れることもしない。各々の仕事の話は普通にする。

とても、とても、やさしい存在だ。

 

社会人になった何年か経てば、恋愛、保険、投資、ふるさと納税…話題は移り変わってゆく。

同世代の人間はこういうことに関心を持っているのか。

お金の使い方が変わってきたなと思うこともある。

無職無収入には全くわからない話だ。

この人たちは、レールを外れることなく生きてきた人たちなんだ。

 

友人たちに会うと元気になれる。

一時元の自分に戻れた気持ちになる。

頑張ろうと思える。

いいことばっかりだ。

 

それなのに、自分を卑下する気持ちが強くなってきた。

あの人たちは自然に時を重ねて一般水準(か少し上)にいる。

自分は下の下。底辺にいる。

 

 

変われていない自分が嫌いだ。

 

友人に胸を張って会えない自分が嫌だ。

 

みっともない自分を隠すようにしているのが嫌だ。

 

 

友人たちが好きだ。

今朝の夢の話

愛しい人に、残りの40日?40時間?分の命を何か(確か苦しみだったと思います)と引き換えに渡すか?って聞いたんです。

そうしたら私の手を両手で握りしめて間髪入れずに「渡す」って。

 

塾の部屋の一番右の机に並んで座っていました。

その儀式は3㎝平方くらいの四角い香木に火をつけて煙を吸うんです。

黄色いアゲハ蝶がいないとダメなんですけど、愛しい人は焦って早く火をつけさせようとするんです。

「まだなんだって」と言い聞かせなきゃなんです(笑)

それで誰かが急いで連れてきてくれたアゲハ蝶を確認して火をつけました。

 

直前に来客があって「出なくていいの?」と聞かれました。

彼女は来訪者の車に轢かれてしまう予定だったのです。ちょうどこんな車です。

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なので、来訪者の車が玄関先に見えた時とても焦りました。

焦って「大丈夫だから」と返します。

他の人が出てくれて何とか回避できました。

ここで何回か失敗しているのでほっとしました。

同時に何回かやっていることを思い出して、自分がループしていることに気付いたのです。

 

無事儀式を始めました。

彼女は風下で火をつけようとして少しあたふたしましたが(笑)

 

その煙を吸った愛しい人から白い煙のように魂がすぅっと抜けていくんです。

その魂は彼女の前に現れた小さい子供のようなものに吸い取られていきました。

あれが悪魔なのでしょう。

なぜか知っていました。

怖くはない、ただの子供の顔でした。

私はそれを左の席で見ていました。

 

儀式を終えると愛しい人は立ち上がって残り時間で何か手伝おうとするんです。

「なにしたらいい?」って聞かれました。

儀式のあとは急激に体が衰えていくんです。

危ないので「2階に行っていてほしい」と言うと、邪魔者扱いして!と言うようにむっとするんです。かわいいでしょ。

そのあと「どれくらいなの?」と聞いてきたので、傾きが1、-5くらいの直線右下がりのグラフを指で描きました。

愛しい人は驚きながらも「そう…」と受け止めてくれて、無理な手伝いはやめて台所の椅子に座ろうとしてくれました。

 

もう自立することはできず私が支えている状態です。

一気に骨骨しくなっています。ガリガリです。

 

私の席に座ると愛しい人は「並んで座ろうよ」と言ってくれました。

涙があふれそうでした。

”並ぼう“と言ってくれたのです。

 

そのあとさつまいもを水に浸したボウルを持とうとして後ろから急いでキャッチしました。無茶をするんです(笑)


2階では祖母がバスセンターに電話をかけてお礼を言っていると誰かが言っています。何かで一時的に2階へ追いやらざるを得なかった祖母です。

 

 

 


そのあたりで目が覚めました。
起きてから、彼女の最期までそばにいてやれなかったことが悲しくて(目が覚めてしまったので)、どんな状況でも感謝を忘れない祖母の強さを思い出して、涙が出ました。

 

彼女は苦しみと引き換えに悪魔に魂を引き渡しました。

これが悪魔との契約かと思いました。

悪魔という呼び名だけれど、狡猾さや怪しさは一切感じられず、その仕事をする者の呼び名でしかないのだなと思いました。

目を閉じたまま、その者にただ「ありがとう、ありがとう」と何度も伝えました。

 

愛しい人は苦しまなかった。

 

祖母を車で、顔馴染みだったスーパーに連れていきたいと思った。

きっと、そろそろラストチャンスだから。

歳を重ねていくと苦手なものが増える。

歳を重ねていくと苦手なものが増える。

これは実際に生き続けないと気づかなかったであろうことなので、記録しておきたいと思い、ここに記す。

 

歳を重ねるごとに苦手になってきたもの。

・漢字の誤変換

・人を傷つける言葉、行為

・パッケージの第一印象

 

これらは自分で積み重ねてきたものに反するから苦手である。いや、はっきり言って嫌いである。

 

 

・漢字の誤変換

文章を読んでいて突然世界観を壊すアレ。具体例を一つ挙げるなら「体勢」

体勢を崩した〇 体制を崩した✕

きゃーってなるシーンで急にシステム(体制)の話をしないでほしい。突然脳内にマトリックスの黄緑の文字が流れるし、スーツおじさんの人事かってなる。雰囲気がぶち壊し…。悲しい。

 

別れる〇分かれる✕

答える〇応える✕

もよくある。

 

誤変換なんてよくあるよ、スルーしなよ、と思うかもしれないが、読者にとって別れ話をする駅のホームに突然リオのカーニバルが登場するような出来事なのだ。

自分は特に感じが好きな部類の人間なので、一文字一文字が大切なのである。

漢字一文字ごとに持つ意味があるのだから大切に正しく使ってほしい。

 

誤変換は語訳に例えたらより納得していただけるだろうか。

「きれい」を clean と訳すか beautiful と訳すか。

部屋を clean に保っている人と、 beautiful に飾っている人では印象が全く違う。

 

 

・人を傷つける言葉、行為

これは以前から嫌いだが、毛嫌い度が増してきた。

「~~は興味ないわ」とか「あー、~~は見なくていいし」とかそういうレベルの言葉で苛立つ。

シンプルに、言わなくていいじゃん。

あなたはそう思ったからそのまま言ったのかもしれないけど、その言葉で嫌な気持ちになる人がいるのなら(その人が身近な人だとしたら、余計)やめてほしい。

SNSは何でも言える場だ?ふざけんな!人様の目につくアカウントならそれはもうお前のつばを吐き捨てる場所じゃないんだよ!(特大ブーメラン)

ふぅ。声を荒げてしまった。

 

それに一生懸命な人がいて、その人を応援してる人だっているんだ。

そういう言葉を投げ捨てるのは敬意がない行為だ。

”一生懸命”を軽んじる行為は許せない。

 

 

・パッケージの第一印象

これは、自分でも一番気を付けないといけないなと思う。

うっせぇわ、フワちゃん、ひろゆき、モルカー。

これらは第一印象でその後まったく手を付けられなかった。以下、第一印象とその後の印象を記録しておく。

うっせぇわ→うるさい/ラジオで流れてから二度と聞かなかった。

フワちゃん→見た目がおバカそうで勢いばかり強そうで苦手/知り合いから知的な面もあり理に適っていることを言うと聞き、薄目で見る。完全に壊れている部分もあるものの、克服。

ひろゆき→顔が無理。他人を馬鹿にして楽しむ人間の顔つき。不愉快。/ニュースなどを漏れ聞く限り正解。深入りする予定なし。

モルカー→なんとなく見た目がなめてやがる。(なぜそう感じたのか自分でもわかっていない。その時の精神状態なのか?)/自分は見たことないが世間では大いに人気。遠くでみんな幸せになってるといいな。

 

 

記録しておく。

嫌いな言葉

「頑張った」って言葉が嫌いなんですよ。だから何?で、結果は?しか言うことないじゃないですか。結果を出さない人間に価値はないですよ。


「自分には~~しかない」ってのも嫌い。~~以外を持つ努力はしたのか、~~しかなくなる可能性が分かっていながらそれ以外を持たなかったのはただの甘えだろ?甘ったれてるんだよ。

 

これ、みんな父親に植え付けられた呪いなんだって、わかってる。

わかってるのにさぁ…。


「おいしいね」って言葉も嫌い。昔父親に「おいしいね」って言われて「うん」って答えたら「おいしかったら『おいしい』って言え」と怒られたことがあるから。言いたい時に言うよ。無理矢理言わされたおいしいなんて最悪じゃないかって思う。

 

呪いだ。全部呪いだ。

”正しい食べ方”ってなんなの

先日「納豆の正しい食べ方」なる記事を見かけた。

・納豆かけご飯で食べる時はご飯は冷ましてから乗せる

納豆のタレはよくかき混ぜた後に入れる

・生卵と一緒に食べるのはNG 

などと続いている。

 

普段は「ああ、そうやると栄養がよく摂れるのねぇ」くらいに思うのだが、たまご納豆好きとして生卵と一緒に食べるのはNGこの項目はさらりと流すことができなかった。

 

なんで!何言ってんの!たまご納豆おいしいんだよ!!

 

正直憤慨した。

あのゴールデンコンビに待ったをかけるやつがいるのか。

あんなにマイルドで喉に流れ込んでくる甘みのあるおいしいものがNG扱いされているのはおかしいだろう。

ああ、禁酒法時代が始まる時人々はこんな気持ちだったに違いない…。

 

そののち「正しい食べ方」の言う”正しさ”とは何様なのか。

続く文章を読み進めていくとそこに並ぶ文言は次のようである。

グルタミン酸が増えます

・卵の白身に含まれるアビジンと納豆に含まれるビオチンは結合する性質があり結合してしまうとビオチンの吸収が妨げられてしまいます

・ナットウキナーゼの効果が最大限に発揮されます

 

ああ、栄養を出来る限り100%摂ることが正しくなってしまったのか。

”おいしい”ではなく。

 

もう、怒る気にもなれない。

栄養摂りたかったらサプリメントでもとってろよ…。

栄養注射してろよ…。

 

食事は栄養を摂ることのみを指すのではない。

もちろん栄養を摂ることは生命体である以上重要である。ないがしろにするつもりはない。

しかしそこに過剰な正しさを見出す姿勢には警鐘を鳴らさずにはいられない。

それではガソリンがなくなりそうになったら給油されるだけの自動車と一緒だ。

食事には、2つの役割が備わっていることが必要です。

その1つは、その食事を食べる人の健康を維持・増進し、また疾病の予防・治療に必要な栄養素を過不足なく提供するという栄養学的側面の役割です。

もう1つは、その食事が食べる人の食習慣や食文化をみたし、おいしく食べることで心の豊かさや満足感をもたらすとともに、人間関係やコミュニケーションの形成に役立つなど、食べる人のQOLや社会性を高める側面の役割です。

eiyou.kanto-gakuin.ac.jp

 

 おいしく食べることで心の豊かさや満足感をもたらすということが、まるっきり無視されている。

このことが自分が憤慨した根本の理由であった。

我々は自動車ではない。人間なのだ。

 

玉ねぎは生で食べた方が栄養成分が減らなくていいそうだ。

にんにくも火を通すと体にいい成分が減ってしまう。

玉ねぎはまだしも(生で食べると胃が痛くなる人はいる)、いつもにんにくを生で食べるのか。香りの強いにんにくを食べた後で他のメニューの味が分からなくはならないのか。おいしいと心から言えるのか。

 

願わくば、”正しい食べ方”、”今までの食べ方は間違っていた”などの栄養面しか考えていない見出しが少しでも減りますように。

そんな記事に心乱される人が少しでも減りますように。

「おいしい!」と心から喜んで食事ができますように。