友人に誘われるのがちょっとつらくなってきた話

無職の期間が続いている。

 

天気が良ければ外に出かける。

家族で買い物も行く。

このご時世になる前は年末の同窓会も参加していた。

引きこもりというほどではない。

 

しかし、いよいよ友人に誘われるのがつらくなってきた。

自分が無職であることを友人たちは知っている。

だからと言って腫れものに触るような扱いはしない。

その話題に触れることもしない。各々の仕事の話は普通にする。

とても、とても、やさしい存在だ。

 

社会人になった何年か経てば、恋愛、保険、投資、ふるさと納税…話題は移り変わってゆく。

同世代の人間はこういうことに関心を持っているのか。

お金の使い方が変わってきたなと思うこともある。

無職無収入には全くわからない話だ。

この人たちは、レールを外れることなく生きてきた人たちなんだ。

 

友人たちに会うと元気になれる。

一時元の自分に戻れた気持ちになる。

頑張ろうと思える。

いいことばっかりだ。

 

それなのに、自分を卑下する気持ちが強くなってきた。

あの人たちは自然に時を重ねて一般水準(か少し上)にいる。

自分は下の下。底辺にいる。

 

 

変われていない自分が嫌いだ。

 

友人に胸を張って会えない自分が嫌だ。

 

みっともない自分を隠すようにしているのが嫌だ。

 

 

友人たちが好きだ。

今朝の夢の話

愛しい人に、残りの40日?40時間?分の命を何か(確か苦しみだったと思います)と引き換えに渡すか?って聞いたんです。

そうしたら私の手を両手で握りしめて間髪入れずに「渡す」って。

 

塾の部屋の一番右の机に並んで座っていました。

その儀式は3㎝平方くらいの四角い香木に火をつけて煙を吸うんです。

黄色いアゲハ蝶がいないとダメなんですけど、愛しい人は焦って早く火をつけさせようとするんです。

「まだなんだって」と言い聞かせなきゃなんです(笑)

それで誰かが急いで連れてきてくれたアゲハ蝶を確認して火をつけました。

 

直前に来客があって「出なくていいの?」と聞かれました。

彼女は来訪者の車に轢かれてしまう予定だったのです。ちょうどこんな車です。

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なので、来訪者の車が玄関先に見えた時とても焦りました。

焦って「大丈夫だから」と返します。

他の人が出てくれて何とか回避できました。

ここで何回か失敗しているのでほっとしました。

同時に何回かやっていることを思い出して、自分がループしていることに気付いたのです。

 

無事儀式を始めました。

彼女は風下で火をつけようとして少しあたふたしましたが(笑)

 

その煙を吸った愛しい人から白い煙のように魂がすぅっと抜けていくんです。

その魂は彼女の前に現れた小さい子供のようなものに吸い取られていきました。

あれが悪魔なのでしょう。

なぜか知っていました。

怖くはない、ただの子供の顔でした。

私はそれを左の席で見ていました。

 

儀式を終えると愛しい人は立ち上がって残り時間で何か手伝おうとするんです。

「なにしたらいい?」って聞かれました。

儀式のあとは急激に体が衰えていくんです。

危ないので「2階に行っていてほしい」と言うと、邪魔者扱いして!と言うようにむっとするんです。かわいいでしょ。

そのあと「どれくらいなの?」と聞いてきたので、傾きが1、-5くらいの直線右下がりのグラフを指で描きました。

愛しい人は驚きながらも「そう…」と受け止めてくれて、無理な手伝いはやめて台所の椅子に座ろうとしてくれました。

 

もう自立することはできず私が支えている状態です。

一気に骨骨しくなっています。ガリガリです。

 

私の席に座ると愛しい人は「並んで座ろうよ」と言ってくれました。

涙があふれそうでした。

”並ぼう“と言ってくれたのです。

 

そのあとさつまいもを水に浸したボウルを持とうとして後ろから急いでキャッチしました。無茶をするんです(笑)


2階では祖母がバスセンターに電話をかけてお礼を言っていると誰かが言っています。何かで一時的に2階へ追いやらざるを得なかった祖母です。

 

 

 


そのあたりで目が覚めました。
起きてから、彼女の最期までそばにいてやれなかったことが悲しくて(目が覚めてしまったので)、どんな状況でも感謝を忘れない祖母の強さを思い出して、涙が出ました。

 

彼女は苦しみと引き換えに悪魔に魂を引き渡しました。

これが悪魔との契約かと思いました。

悪魔という呼び名だけれど、狡猾さや怪しさは一切感じられず、その仕事をする者の呼び名でしかないのだなと思いました。

目を閉じたまま、その者にただ「ありがとう、ありがとう」と何度も伝えました。

 

愛しい人は苦しまなかった。

 

祖母を車で、顔馴染みだったスーパーに連れていきたいと思った。

きっと、そろそろラストチャンスだから。

歳を重ねていくと苦手なものが増える。

歳を重ねていくと苦手なものが増える。

これは実際に生き続けないと気づかなかったであろうことなので、記録しておきたいと思い、ここに記す。

 

歳を重ねるごとに苦手になってきたもの。

・漢字の誤変換

・人を傷つける言葉、行為

・パッケージの第一印象

 

これらは自分で積み重ねてきたものに反するから苦手である。いや、はっきり言って嫌いである。

 

 

・漢字の誤変換

文章を読んでいて突然世界観を壊すアレ。具体例を一つ挙げるなら「体勢」

体勢を崩した〇 体制を崩した✕

きゃーってなるシーンで急にシステム(体制)の話をしないでほしい。突然脳内にマトリックスの黄緑の文字が流れるし、スーツおじさんの人事かってなる。雰囲気がぶち壊し…。悲しい。

 

別れる〇分かれる✕

答える〇応える✕

もよくある。

 

誤変換なんてよくあるよ、スルーしなよ、と思うかもしれないが、読者にとって別れ話をする駅のホームに突然リオのカーニバルが登場するような出来事なのだ。

自分は特に感じが好きな部類の人間なので、一文字一文字が大切なのである。

漢字一文字ごとに持つ意味があるのだから大切に正しく使ってほしい。

 

誤変換は語訳に例えたらより納得していただけるだろうか。

「きれい」を clean と訳すか beautiful と訳すか。

部屋を clean に保っている人と、 beautiful に飾っている人では印象が全く違う。

 

 

・人を傷つける言葉、行為

これは以前から嫌いだが、毛嫌い度が増してきた。

「~~は興味ないわ」とか「あー、~~は見なくていいし」とかそういうレベルの言葉で苛立つ。

シンプルに、言わなくていいじゃん。

あなたはそう思ったからそのまま言ったのかもしれないけど、その言葉で嫌な気持ちになる人がいるのなら(その人が身近な人だとしたら、余計)やめてほしい。

SNSは何でも言える場だ?ふざけんな!人様の目につくアカウントならそれはもうお前のつばを吐き捨てる場所じゃないんだよ!(特大ブーメラン)

ふぅ。声を荒げてしまった。

 

それに一生懸命な人がいて、その人を応援してる人だっているんだ。

そういう言葉を投げ捨てるのは敬意がない行為だ。

”一生懸命”を軽んじる行為は許せない。

 

 

・パッケージの第一印象

これは、自分でも一番気を付けないといけないなと思う。

うっせぇわ、フワちゃん、ひろゆき、モルカー。

これらは第一印象でその後まったく手を付けられなかった。以下、第一印象とその後の印象を記録しておく。

うっせぇわ→うるさい/ラジオで流れてから二度と聞かなかった。

フワちゃん→見た目がおバカそうで勢いばかり強そうで苦手/知り合いから知的な面もあり理に適っていることを言うと聞き、薄目で見る。完全に壊れている部分もあるものの、克服。

ひろゆき→顔が無理。他人を馬鹿にして楽しむ人間の顔つき。不愉快。/ニュースなどを漏れ聞く限り正解。深入りする予定なし。

モルカー→なんとなく見た目がなめてやがる。(なぜそう感じたのか自分でもわかっていない。その時の精神状態なのか?)/自分は見たことないが世間では大いに人気。遠くでみんな幸せになってるといいな。

 

 

記録しておく。

嫌いな言葉

「頑張った」って言葉が嫌いなんですよ。だから何?で、結果は?しか言うことないじゃないですか。結果を出さない人間に価値はないですよ。


「自分には~~しかない」ってのも嫌い。~~以外を持つ努力はしたのか、~~しかなくなる可能性が分かっていながらそれ以外を持たなかったのはただの甘えだろ?甘ったれてるんだよ。

 

これ、みんな父親に植え付けられた呪いなんだって、わかってる。

わかってるのにさぁ…。


「おいしいね」って言葉も嫌い。昔父親に「おいしいね」って言われて「うん」って答えたら「おいしかったら『おいしい』って言え」と怒られたことがあるから。言いたい時に言うよ。無理矢理言わされたおいしいなんて最悪じゃないかって思う。

 

呪いだ。全部呪いだ。

”正しい食べ方”ってなんなの

先日「納豆の正しい食べ方」なる記事を見かけた。

・納豆かけご飯で食べる時はご飯は冷ましてから乗せる

納豆のタレはよくかき混ぜた後に入れる

・生卵と一緒に食べるのはNG 

などと続いている。

 

普段は「ああ、そうやると栄養がよく摂れるのねぇ」くらいに思うのだが、たまご納豆好きとして生卵と一緒に食べるのはNGこの項目はさらりと流すことができなかった。

 

なんで!何言ってんの!たまご納豆おいしいんだよ!!

 

正直憤慨した。

あのゴールデンコンビに待ったをかけるやつがいるのか。

あんなにマイルドで喉に流れ込んでくる甘みのあるおいしいものがNG扱いされているのはおかしいだろう。

ああ、禁酒法時代が始まる時人々はこんな気持ちだったに違いない…。

 

そののち「正しい食べ方」の言う”正しさ”とは何様なのか。

続く文章を読み進めていくとそこに並ぶ文言は次のようである。

グルタミン酸が増えます

・卵の白身に含まれるアビジンと納豆に含まれるビオチンは結合する性質があり結合してしまうとビオチンの吸収が妨げられてしまいます

・ナットウキナーゼの効果が最大限に発揮されます

 

ああ、栄養を出来る限り100%摂ることが正しくなってしまったのか。

”おいしい”ではなく。

 

もう、怒る気にもなれない。

栄養摂りたかったらサプリメントでもとってろよ…。

栄養注射してろよ…。

 

食事は栄養を摂ることのみを指すのではない。

もちろん栄養を摂ることは生命体である以上重要である。ないがしろにするつもりはない。

しかしそこに過剰な正しさを見出す姿勢には警鐘を鳴らさずにはいられない。

それではガソリンがなくなりそうになったら給油されるだけの自動車と一緒だ。

食事には、2つの役割が備わっていることが必要です。

その1つは、その食事を食べる人の健康を維持・増進し、また疾病の予防・治療に必要な栄養素を過不足なく提供するという栄養学的側面の役割です。

もう1つは、その食事が食べる人の食習慣や食文化をみたし、おいしく食べることで心の豊かさや満足感をもたらすとともに、人間関係やコミュニケーションの形成に役立つなど、食べる人のQOLや社会性を高める側面の役割です。

eiyou.kanto-gakuin.ac.jp

 

 おいしく食べることで心の豊かさや満足感をもたらすということが、まるっきり無視されている。

このことが自分が憤慨した根本の理由であった。

我々は自動車ではない。人間なのだ。

 

玉ねぎは生で食べた方が栄養成分が減らなくていいそうだ。

にんにくも火を通すと体にいい成分が減ってしまう。

玉ねぎはまだしも(生で食べると胃が痛くなる人はいる)、いつもにんにくを生で食べるのか。香りの強いにんにくを食べた後で他のメニューの味が分からなくはならないのか。おいしいと心から言えるのか。

 

願わくば、”正しい食べ方”、”今までの食べ方は間違っていた”などの栄養面しか考えていない見出しが少しでも減りますように。

そんな記事に心乱される人が少しでも減りますように。

「おいしい!」と心から喜んで食事ができますように。

愛猫を亡くした知人に花を

先日、知人の愛猫が死んだそうだ。

息を引き取った、虹の橋を渡った、永い眠りについた……色々な言い方がある。

周りが「死」をどう表現しようともそこにあるのはただの「死」だ。

余計な何かを付け加えることが憚られる。

 

自分はその猫に、そして知人に梅の写真を送った。

花は悲しみを和らげてくれるから。

花は人を優しい気持ちにしてくれるから。

鮮やかな赤い花は春を告げてくれるから。

春は朗らかでやさしいから。

でも、言葉は何も送れなかった。

 

「春だねー」「もっと外に目を向けるよ!」という知人に「窓を開けているだけで春の風は入ってきますので、のんびりですよー」と返すのが精一杯だった。

 

知人は梅を見るたびに愛猫を思い出して悲しくなるかもしれない。

自分の自己満足だったかもしれない。

 

願わくば、優しい風が知人の髪を揺らしてくれますように。

春先のこと

春の日差しと冬の風。鳥のさえずりはたしかに春のもの。


フェンスの向こうには水やりをする黒い背中。


私を撫ぜる風は冬を忘れるなと少し不貞腐れている。


横には椿が咲いている。なんて鮮やかなのだろう。私の目が潤むのは花粉症だからではない。そもそも花粉症ではない。


赤い背中が黒い背中に声をかける。内容は聞き取れないが明るい声だ。両手を大きく振りながら小さくなっていくそれは椿のように鮮やかだった。


空はほとんど白く、水色が溶けて消えゆく手前の色をしている。

そこに張り巡る命。桜の蕾は膨らみ始めている。枝の先に命がある。枝も幹も一寸の隙もなく命。命が張り巡らせられている。


すると自分が妙に伽藍堂に思える。右手の親指の爪。これも命か?その根元の甘皮。これも命か?


桜の枝はとてもはやく朽ちる。茹でた鶏肉よりも簡単に裂けるようにほぐれていく。


冬の風が私に声をかける。冬を忘れるなと。日差しのあたたかさが一瞬分からなくなる。


遠くで救急車のサイレンが聞こえる。あそこにも命だ。


真っ白な枝だけになった紫陽花はロープで縛られ冬の鎧を着たまま。


枯れ枝はゆっくりと土に還る。


背後からの風に身震いし、私はペンを置く。